Hey!Say!JUMPデビュー10周年に寄せて

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先日、会社の後輩に「あややさん、Hey!Say!JUMPの年末のコンサートのチケット余ってませんか?」と話しかけられた。彼女はほんの数ヶ月前までジャニーズに全く興味がなかったのに、同じくほんの数ヶ月前までジャニーズに全く興味もなかった友人たちと、Hey!Say!JUMP鑑賞会をしているらしく、コンサートにも足を運ぼうと試みたが落選してしまったらしい。彼女は嬉しそうに先日の音楽番組のキャプチャー画像をスマホから出して見せてくれ、「ほら、かっこいいですよね?」と私に同意を請うた。これが、Hey!Say!JUMPの10周年だ、と思った。私の半径5メートルで、Hey!Say!JUMPを新しく知り、ファンになった人が居る。これが、Hey!Say!JUMPの10周年の景色だ、と思った。

Hey!Say!JUMPが結成された当時、私はちょうどジャニヲタを休止していた。外側からジャニーズの新グループのメンバーを知った時の感想として、まず第一に出てきたのは「Ya-Ya-yahが分断された…?!」という混乱だった。恐らくそんな感想を抱いたのは私だけでなく、ほとんどのジャニヲタがそうだったと思うのだが、ジャニーズJr.時代の各グループから寄せ集められた子たちという印象は強く、デビュー曲『Ultra Music Power』の冒頭「喜び悲しみ受け入れて生きる」という歌詞が、より一層その運命を強く描いていたように思う。まだあどけない表情の10代の男の子たちのスタートにしては既に物語性が強かった。

私がHey!Say!JUMPを初めて生で見たのは、それから約1年弱が過ぎた2008年の『SUMMARY』だった。どうして見に行こうと思い立ったのかは覚えてないが、追加公演のチケットがローソンのLoppiを操作すれば発売日に割と簡単に手に入ったのを記憶している。八乙女さんの公式団扇を手に持ち、空を舞う彼らの美しい姿を見た時、「天使がいた…!それも沢山…!」と目眩がした。けれども当時の彼らはまだまだ容姿が幼く、堂々と「Hey!Say!JUMPが好きです!」なんて言おうものなら「平成?ショタなの?w」と思われかねないという不安から、一歩踏み出せない気持ちがあった。その当時の私に言ってやりたい、平成の時代もそんなに先は長くない!いずれはみんな素敵な大人になる!と。

結局その年の秋にはシングル『真夜中のシャドーボーイ』を全形態購入し、「もう無理だ」とHey!Say!JUMPに完全降伏。彼らの成長過程を見たい、と思った。mixiのヲタク用アカウントを作成し、そこで出会った濃い友人たちの加勢もあって、そこからは毎シーズンHey!Say!JUMPのコンサートに通う羽目になった。「毎年」ではない「毎シーズン」というところがポイントだ。今でこそ年1回のツアーに落ち着いているが、当時は本当に文字通り「毎シーズン」コンサートツアーをやっており、冬ツアーの千秋楽で春ツアーを発表し、春ツアーの千秋楽で夏のSUMMARYを発表する等というのに、とにかくヲタクに休む暇も考える暇も与えてくれず、終わったかと思えばまた振り込み、終わったかと思えばまた振り込むスパイラルに巻き込んで離さない戦法だった。そうなるとタレントとファンの関係性も異型な発展を遂げ、ファンサービスに懸けるファンの熱量が異常に高い現場になった。当時AKB48が「会いにいけるアイドル」として、勢いが盛んになってきた頃だったが、通常「会いにいける」存在ではないはずのジャニーズで、唯一毎シーズンコンサートを行っているグループとして「会いにいけるジャニーズ」と化していたと言っても過言ではない。

そう書くと順調にファンが増え続けていたように聞こえるかもしれないが、毎シーズンコンサートを行っている間、テレビ露出はほとんどなく、結局私がハマるきっかけとなったシングル『真夜中のシャドーボーイ』(2008年10月22日発売)から、その次のシングル『瞳のスクリーン』(2010年2月24日発売)までの間は約1年半も空いている。毎シーズンコンサートに足を運んでいた私たちの目には、“Hey!Say!JUMPは常に活動している”と映っていたけれど、その外にいる人たちの目にHey!Say!JUMPが入る機会は少なく、ファンが大幅に増えるチャンスはなかった。その頃には、私の周りでも「もっと人気が出てシングルもいっぱい出して欲しい」という気持ちと「でも遠くに行かないで欲しい、この毎シーズン会える状態がずっと続いて欲しい」という気持ちが混在していて、彼らの成長に対してどういうスタンスでいるべきか迷いがあった。そうこうしている内に、山田さんと知念さんが『NYC boys』の結成に加担することになったりして、Hey!Say!JUMPの未来が見えづらく、混沌とした想いがファンの間にあったように思う。

そして2011年6月27日、森本さんの未成年喫煙が報じられ無期限謹慎処分の発表。当時私はHey!Say!JUMPの中で一番に森本さんを応援していたため、この日のことはよく覚えており、仕事中に吐き気が止まらず、Twitterを見ていても涙が止まらず、すぐに「戻って来て欲しい」なんて無責任なことも言えず、ジャニヲタ人生の中で恐らく最も辛い出来事だったと思う。急に担当が居なくなったグループの応援の仕方もよく分からず、彼のいなくなったHey!Say!JUMPに暫くの間は、彼の不在を意識して見ているしかなかった。

そこからどういう訳か少し風向きが変わり、リリース間隔が長かったシングルもコンスタントに発売されるようになり、そしてデビューから5年が経った2012年に帝国劇場で主演を務める等、徐々にこれまでのルーティンとなっていた「毎シーズンコンサート」の状況から脱却し、彼らの新しいスキルを磨く期間へと突入した。ジャニーズは内側の戦法や商法を語る人間がいないので、Hey!Say!JUMPの売り方がどのようにして考えられているのかは知らないが、一ファンとしてはようやく事務所がHey!Say!JUMPにも手をかけ始めた気がしたのが、個人的にこの頃だったように思う。

5周年の時に「Hey!Say!JUMPはどうしたら売れるか?」ということを膝突き合わせて色んな人と語り合った記憶があるけれど、嵐のような国民的アイドルグループになって欲しいという想いもあれば、V6のように卓越したスキルで抜群のステージを作れるようになって欲しいという想いもあったりして、ただのファンがどうしようも出来ないことをみんなで必死になって考えていたあの期間、当時は本気で悩んでいたけれど、今振り返るともう絶対に戻って来ないあの期間に真剣に彼らのことを見つめられたことは幸せだったなと思う。現状、彼らが沢山テレビに出て、知名度を上げ、私の半径5メール内で彼らの虜となった人がいることを思えば尚更、尊い時間だったなと思う。

5周年以降のことは、私はもう「当事者」ではなくなっていたので、渦中の人として書けないので詳細は割愛してしまうけれど、『Come On A My House』『ウィークエンダー』等シングルの良曲に恵まれたこと、秘密兵器として隠され続けてきた伊野尾慧さんの爆発的な露出の増加、単独バラエティ番組のスタート等、彼らの魅力を世間に知らしめる材料がすべて出揃い、万全を期してこの10周年を迎えられていることは、これまでにHey!Say!JUMPの歴史の目撃者となったことがある身として、とても嬉しく思っている。Hey!Say!JUMPに対しては「好き過ぎて憎い」みたいな行き過ぎた感情を持つこともなく、常に変わらぬテンションで「天使…!」と思えるのは、他でもない彼らこそが変わらずアイドルを貫き続けていてくれるからだなと思う。何度かTwitterで書いたことがあるけれど、デビュー時にはあどけない少年だったあの子が10年経った今こんなにワイルドに成長しました、みたいな前例は沢山あると思うけれど、Hey!Say!JUMPは誰かがゴリゴリのマッチョ体質になることもなく、超個性的な髪色や髪型にしてファンを驚かせることもなく、みんながアイドル美意識から大きく外れることなく、足並み揃えてずっとずっと「綺麗で可愛い男の子」で居てくれることが奇跡だなと思っている。

これからも、15周年も、20周年も、ずっとずっと天使でいてください。10周年本当におめでとうございます。