はてなブログで長文語りをしていたオタクたちは一体どこへ行ったのか

最近会う古くからの友人たちに聞いていることがある。「はてなブログで長文語りをしていたオタクたちは一体どこへ行ってしまったのか?」。はてなブログにはかつて大量に長文で推しについて語るオタクがいたと記憶している。毎週のように誰かが書いた記事がTwitter(現X)に流れてきて、その記事に感化されたオタクが同じテーマで自分や自分の推しのことを語る連鎖が生まれることもあった。みんながそれぞれの言葉で推しについて語り、私はそれを読むのが好きだった。推しに対する自分では抱えきれないくらい膨大な愛をはてなブログの上に落としていくことで満たされているようなそんなブログを読むのが好きだった。しかし今、そういうブログに出会う機会が少なくなった。もちろんゼロになった訳ではないが、「このブログ読ませるな〜!」と思うブログに出会う回数がとても少なくなった。一体なぜなのか。そんな思いで先日投稿したポストがある。このポストは「いいね」は沢山ついたが、こういう理由ではないですか?という意見は一つも届かなかった。もしやみんな疑問に思っているけど答えは見つかっていない?!いやぼんやり見つかってはいるものの言語化されていない?!


こんなことを書いている私も、かつてははてなブログのヘビーユーザーだった。「はてなブログで長文語りしていたオタクって、そういうお前やないかい!」というツッコミ受け付けます。2013年にブログを開始してからというものピーク時には年間88件の記事を書き、紛れもなく私ははてなブログで長文語りをするオタクの一人だった。あれだけ書いていたのにそもそも自分はなぜ書かなくなったのか?今回のタイトルは主語デカにしてしまったが、みんなの詳細なことは分からないので、まずは私自身がなぜはてなブログから遠のいてしまっていたのか、なぜ長文語りをしなくなっていたのか、ということを振り返ってみたい。それはもしかしたら長文語りをしていたオタクたちがいなくなった理由に通ずるところもあるかもしれないと思って書いてみる。

最初の3年に怒涛のように記事を書いてその後下火になっている

世は一億総推し活時代

私がこのブログを開始した2013年当時「推し活」という言葉はまだメジャーではなかった。私自身も「推し活」ではなく「オタ活」と書いていたし「オタク」を自称していた。「オタク」という言葉はネガティブイメージからスタートしていて当時もまだその名残りがあったように覚えている。私もアイドルが好きというと、「アイドルを恋愛対象として見ている人」という偏見を持たれることもあり、一部の知人の前ではあまり大きな声で言えなかった。でも実際のオタ活は周りのみんなが考える程ディープでダークなものではなく、人生を豊かにするものであり、オタク仲間もみんな推しのために一生懸命仕事をしてオタ活にも全力で取り組む楽しい人ばかりだった。時に「才能の無駄遣い」と呼ばれるようなオタクもいて、自分の能力をフル活用して推しの応援に力を注ぐ人もいた。私はオタク文化の中心はこんなに楽しくて才能に溢れていて愛に満ちているのに、世の中に偏見を持たれるのは勿体無いという思いがあり、こちらの世界こんなに楽しいですよ!寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!という気持ちでよくはてなブログを更新していた。何のオタクでもない人たちが「オタクって面白い」という感想を残してくれることがあり、微力ながらオタ活の楽しさを発信していきたい、何ならみんなもこちらへおいでよ、という気持ちがあった。
ところがその後「推し活」はメキメキと勢力を拡大して、一億総推し活時代になった。あの頃私のことを「そろそろオタ活辞めたら…?」という目で見ていた知人にも今や推しがいる。あの頃は、職場でアイドル好きと自己開示しても好奇の目で見られるだけだったのに、今や職場には「私もです!」という人が何人もいる。推しがいることの楽しさはわざわざ発信して世間にお知らせしなくても、今の世の中では大抵の人が知っている人生を豊かにする手段の一つになっている。もうネガティブイメージを払拭するための長文は必要ない世の中になったのだ。それがまずひとつ長文語りをするモチベーションの低下の一つになっているのではないかと思っている。

タイパの時代と長文テキストのアンマッチ

タイパ、ことタイムパフォーマンス。ここ数年若い世代は時間対効果を求めるようになってきたという。私も昔から録画した番組は倍速で見ていたが、それに輪をかけて色んな情報を自分が受け取れる最大限のスピードで摂取するようになった。YouTubeも倍速で見るし、Audibleも倍速で聴く、Podcastも倍速で聴く。受け取る側に立つと短くて(短くできる)分かりやすいコンテンツこそが正義!という風潮になってきて、長いものは篩にかけられ摂取の対象から落とされるようになってしまった。そんな世の中で自分の目でわざわざ読まなければならない(倍速しづらい)長文テキストは、当然のことながら情報摂取の優先順位は低くなってしまう。オタクの気持ちや日常を手っ取り早く知りたいのであれば、TikTokやInstagramのストーリーなどからでも短文で摂取できるし、何と言っても短文で摂取できるテキストと言えばX(旧Twitter)がある。140文字すら斜め読みしてしまう時代に、ブログのリンクにわざわざ飛んで長文テキストを読む、ということ自体が時代とマッチしなくなってきてしまっている。これも長文語りのモチベーション低下の一つになっているのではないかと思っている。

公式から供給される情報の洪水

世の中の人たちがそうしたタイパを求めることに至った原因に「情報過多」の問題があると思う。10年前はアイドルの公式HP、テレビ、ラジオ、雑誌、公式ブログを追いかけていたら事足りていたのが、今は公式YouTube、公式Instagram、公式X、公式TikTok、と情報を追いかけないといけない媒体が増えた。それぞれから異なる情報が流れる場合もあるので、オタクはあらゆる媒体を梯子して情報を追いかけなければならず、シンプルに供給が多すぎる。収集癖のあるオタクがそれをまた丁寧に記録して管理して、とやろうとすると時間が足りなくなり、自論を語っている暇がない。語りをやるにはある程度の余白と暇が必要だが、公式から供給される情報を追いかけているだけでクタクタになってしまう現象、きっとある。

SNSへの本人出現による書きづらさ

10年前に比べると、SNSの公式アカウントだけでなく本人アカウントが増えた。特にSTARTO ENTERTAINMENTにおいてはそれが顕著で、それまでは公式ブログでしか本人の言葉は発信されなかったのに、ここ数年で本人のSNSアカウントが急増した。推しが自分と同じプラットフォームにいない場合、推しと自分の世界は断絶されているように思え、だからこそ大声で届けるために愛を語らねばと思う気持ちもあれば、断絶されているからこそ愛を語りやすいという側面があったが、推しと自分が同じプラットフォーム上にいると、もしかしたら届いてしまうかもしれないという気恥ずかしさがある(もちろん今までも本人のアカウントが表面上は見えていなかっただけで裏でこっそり読まれていた可能性はあるが)。これまでの長文語りは月から太陽に向かって大声で吠えている程度のもので太陽にはその声は届いているかどうかは分からない(きっと届いていないであろう)イメージだったのが、太陽にいると思っていた人がたまに月にもやって来ているかもしれず大声で叫んでいると本人にも聞こえちゃうかもしれないみたいな、そんな感覚がある。推しと自分が同じプラットフォームにいることはこの上なく嬉しいことなのだけれど、本人を目の前にすると何も喋れなくなるオタクは、なぜかブログを書く手も止まってしまう。

語りオタクの引越し先

じゃあ実際にあの頃長文語りをしていたオタクたちはどこに行ったのか?私の観測できる範囲でオタクの引越し先をまとめてみた。

  • 引き続きテキストを好むオタク:note

オタクに限らずテキスト発信の主軸にしている人が多いnote。はてなブログで見かけていたような語りブログの大半はこちらに移り変わっていったのではないかと思っている。ちなみに私も最近noteで日記を始めた。

  • テキストではないが語りを好むオタク:Podcast、YouTube

芸能人だけでなく一般人による配信が増えてきたPodcastやYouTube。音声として語りを配信するオタクも観測するようになった。

  • 語りより写真や動画を好むオタク:Instagram、TikTok

こちらははてなブログからの引越し先というよりは、推し活の広がりと共に新たに使いこなす人が増えてきたと思っているが、推しにフォーカスを当てるのではなく、推し活をしている自分にフォーカスを当てた動画や写真の発信の場として機能していることが多い。ちなみに私はInstagramでは推し活収納術などをよく見て、TikTokでは遠征Vlogなどをよく見ている。

という訳で私がはてなブログに長文を書かなくなって来ていた理由のいくつかを挙げてみた。もっと個人的なことを言うと仕事が忙しくなったりして、そもそもインターネットから離れていた時期などもあるので、もう少し細かい理由もあるのだけれど、今の社会で起こっている出来事と照らし合わせるとこんな感じではないかと思っている。書いてみて思ったけれどとても言い訳がましい。どんな社会の動きがあれど、自分が書くことが好きで、推しのことを語りたい気持ちがあれば、書けばいいじゃないか(もちろん他人や本人の迷惑にならない範囲で)。色んな人の長文推し語りが読みたいのであれば、まず自分が書けば良いではないか。ファッションカルチャーが何年かに一度巡りまわって同じものが流行るように、はてなブログでの長文語りだって時代が回ればもう一度流行るかもしれないではないか、という気持ちになって来た。オタクの長文愛している、と思っている人は多いと思うので、改めてみんなで書いていけばいいではないか、そういう気持ちになって来た。

今回のこのブログは、タイトルの問いに対して答えはこれです!と提示したい訳ではなく、これをきっかけに色んな人の意見が聞けたら良いなと思っているので、こんなことも理由として考えられる、引越し先はここもあるのではないかと思っている等など、新しい視点のご意見もお待ちしています。

長文語り文化カムバック!