その映画は自担の初単独出演映画だった。彼は2020年に一度映画に出ているがそれは事務所の他のタレントたちと一緒に出た作品で、事務所やグループを飛び出して映画に出演するのは初めてだという。そもそも芝居の経験もさほど多くはなく、そんな彼が俳優としてかなりジャンプアップして挑む作品が、映画『先生の白い嘘』だった。クレジットは奈緒さんに次ぐ二番手。大きなプレッシャーや緊張感を感じながら撮影に挑んだのだろうとその情報だけでも推察できる。
私は今年のゴールデンウィークに原作を読んだ。性差の問題を取り扱いあまりに乱暴で残酷なシーンが出てくるこの物語を本当に実写化できるのか、できたとして正しく理解されるのか、また重要な役どころを自担は演じきれるのか、私はこの映画を受け止められるのだろうか。様々な不安と心配が頭に浮かんだが、この映画の撮影は実は2年前に済んでいた。なぜ2年の空白期間ができたのか、公式にアナウンスがあった訳ではないが、旧ジャニーズ事務所の問題が大きく影響していると思う。出演者の中に自担を含む二人の旧ジャニーズ事務所出身者がいて、その上で性被害について取り扱う映画を2023年中に世の中に出すことはできなかったのだろう。当初予定していた公開日はもっと手前だったのかもしれないが、旧ジャニーズ事務所の問題が落ち着くのを待って公開に至ったのだと思われる。これに関しては映画制作側や監督や他の出演者にとってはとんだ誤算だったと思うので、ファンとしても申し訳なさがある。でもお蔵入りにせず公開に踏み切ってくれたことについてはファンとして感謝しかない。
そういった事情もあったからか上映劇場数は他の映画に比べるとやや少ない印象だった。けれどもいざ映画を公開するとなるとプロモーションはしっかり行われ自担は6月だけで20誌以上の雑誌に登場した。私は来る日も来る日も新しい雑誌に目を通し、彼がこの映画撮影に対してどのような気持ちで臨んでいたのか、どのように共演者とコミュニケーションを取っていたのか、監督とはどんな話をしたのか、インタビューを隈なくチェックした。普段は自信に満ちていてどんなことでもやり遂げられる希望を背負っているように見える彼が、初めて単独で出演し他の出演者の実力についていけるか不安になりながらも必死にもがいて取り組んだことがどのインタビューからも感じ取れて嬉しかった。私は彼が本格的なお芝居に目覚めてスタート地点に立ったところを見れるのかもしれないと、この瞬間にファンとしていられることが嬉しかった。幕が開けて世の中に一人の俳優としての認識が広がっていくであろうことが嬉しかった。
事前に販売されるムビチケは5枚買った。また舞台挨拶2回分のチケットも買ったので、少なくとも7回は見る覚悟だった。そして公開日はどこよりも早くその映画を見たいので、都内で最速で上映される映画館を見つけ、二子玉川の朝8時40分の回の席を押さえた。あとは公開を待つのみで、公開日は金曜日だったので有給を取得して、木曜日の夜は仕事仲間に推しの単独初出演映画が公開されるので休みをいただきますということを伝えて、周りからは明るく送り出された。
しかし7月4日(木曜)の夜、仕事が終わりXを開くと、そこには不穏な空気が漂っていた。監督のインタビューが公開され、主演の奈緒さんがインティマシーコーディネーターを入れて欲しいと要望したがそれを断ったという話が、大きな話題になっていた。
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性差の問題を取り扱う映画で、男性監督が主演女優のICを入れて欲しいという要望を拒否するだなんて有り得ない、というのが大方の意見で私もそれに対しては同じ思いである。これだけセンシティブな内容を取り扱う映画なのだから、細心の注意を払って撮影が行われたのではないのか。そしてこのインタビューの無頓着さは何なのか。明らかにネガティブに捉えられてしまうようなインタビュー内容を話している監督も、ICを入れなかった代わりにどういった対策を講じたのかフォローとなる話を入れられていない書き手も、それをチェックしているであろう広報担当も、色んな大人が介在して目を通しているであろうにも関わらず、呑気に世の中に放たれてしまったこの記事は一体何なのか。結局、まだまだ世の中はこれだけ性の問題に無頓着なのかとがっかりさせられてしまった。結局その日はXのトレンドに「インティマシーコーディネーター」の文字がずっと入っていた。
私はあれだけ楽しみにしていた自担の初単独出演映画が、一日にして一気に世の中にとっての「ありえない映画」になってしまったことが辛くてやるせなかった。「見に行こうと思っていたけど、この監督に加担することになってしまうから見に行くのをやめようと思う」と投稿している人を見て、当然の感情だと思った。ファンとして自担の勇姿を見たい思いが、良くないものに加担することに繋がってしまう矛盾。これはジャニー喜多川氏の性加害が公になっていき旧ジャニーズ事務所が責任を問われているときと同じような感情だった。これまで信じてきたエンターテイメントは実は悪事と共存していて、タレントを応援したいという思いは、一方でそれを支持しているように捉えられかねないこと。大きな声で好きなものを好きだと言いづらくなってしまった昨年の感情をまたここで味わうことになるとは思っていなかった。その日は悔しさに憤怒しながら眠りについた。
7月5日(金曜)、本来であれば晴れやかな気持ちで迎える予定だったこの日、私は仕事の日よりも早起きして二子玉川に向かった。怒りは少し落ち着いたが、あまりよく眠れなかった。起きてみて観る気になれなかったら見送ろうと思っていたが、やっぱりこの数日間来る日も来る日もインタビューを読んで楽しみにしていた自担の俳優としての姿を見届けたいという思いは強く、眉間に皺を寄せながら電車に揺られた。二子玉川の映画館はさほど人の数は多くなかったものの、平日の朝一にしては割と人が集まっていた。男性も女性も同じくらいの数で、私は勝手に同志がたくさんいるかと思っていたが、そんなことはなかった。映画は衝撃的なシーンが沢山あったが、原作を読んでいることがある程度のクッションになり心の準備ができていたので、最低限のショックで済んだ。ただインティマシーシーンが出てくる度に、このシーンの演者の気持ちは尊重されているのだろうかと考えてしまい、映画を観るうえで完全にノイズになってしまっていた。自担は本人もインタビューで言っていたが、本人の演技に対する自信の無さと役どころが上手くリンクしていて、上手すぎないこと自体がその役にリアリティを持たせることに成功していた。
一旦家に帰り、夕方また舞台挨拶を見に行くために丸の内ピカデリーに出向いた。これだけインティマシーコーディネーターのことが話題になっている中、どのような舞台挨拶になるのだろうと思いながらまずは2回目の映画を見た。1回目では拾いきれなかった細かなところを補うように見た。映画が終了すると舞台挨拶に移る。舞台挨拶用のセットが組まれ、カメラテストやマイクテスト等を報道陣が行ったあと、もう準備は完了しているように見えたが、しばらくの間始まらなかった。何か時間がかかっているのだろうかと思いながら待っていたところ、司会の方の自己紹介が終わったあと、まずは今回の件について映画制作委員会のコメントとしてプロデューサーが出てきてコメントを読み上げた。その後演者と監督が登壇したが、演者は全員黒衣装を着ていて、監督の謝罪から始まった。また最後には原作者の鳥飼茜先生からのコメントが寄せられた。全文はこちらの記事で確認できる。
https://www.asahi.com/and/entertainment/424872569/www.asahi.com
ピンと空気が張り詰めていて今にもこちらが泣き出しそうになるくらいだった。そんな中でも私は奈緒さんの責任感に心を打たれてしまった。前日監督の記事が出たとき、私はこれは奈緒さんがフォローする側に回らなければならない構図になってしまったと思いとても辛い気持ちだった。奈緒さんは覚悟を持ってこの作品に取り組んだだろうに、前日に他者の発言によって作品が良くない方向で話題になってしまったことを、彼女がフォローしなければならないのはとても辛いことだろうなと思った。案の定彼女は誰よりも責任感を持っていて、まずは原作者に会いに行き話をして、監督に対してもしっかり怒り、一緒に登壇している共演者を気遣いながら、「私は大丈夫です」と言った。その気高い姿を見ると、彼女の覚悟を無駄にしてはいけないという気持ちにさせられた。奈緒さんが最後までやり遂げたこの作品を、残念な作品にしてしまうのではなく、彼女のために観なければという気持ちにさせられたのだった。また自担はこんな強さを持った俳優と一緒に作品を作ったのだと誇らしかった。奈緒さんと自担はお互いがお互いに光のような存在だった、とインタビューで答えていて、そのことも特別嬉しかった。
翌日、インティマシーコーディネーターは日本に2人しかいないという増田を読んで、過激な作品が増える一方で専門家が追いついていない現状を知った。
anond.hatelabo.jp
また私も気になっていた、公式HPの主人公が「快楽に溺れ」ているという表現が削除され、注目を集めた分適切な表現への改善がなされていった。この件についても公開前にあらすじについてあらゆる大人が目を通したのではないかと思われるが、誰もその問題に気づけないまま公開されてしまったことが残念でならない。過激な作品を取り扱うにあたって、今回はあらゆる準備不足を感じた。撮影時とのタイムラグが2年あったことも一つの要因かもしれない。令和に入ってから世間の価値観や考え方はどんどん変わっていっているように思う。2年前にはグレーとされていたことも今ではもうアウトだったりする。アップデートされていく価値観に敏感に反応し対応していかなければならない。今回のこの作品からはそういうことを学ばせてもらったように思う。
私のムビチケはあと3枚残っている。この3枚の使い方はまだ決まっていないが、私は演者の決めた覚悟のために残りの3枚を使いたいと思っている。