小学生の時に愛読していた月刊少女漫画雑誌「ちゃお」の中で一番好きだった漫画は『エンジェルリップ』だった。幼い頃にカメラ恐怖症になりキッズモデルを辞めてしまった主人公の女の子が、突然舞い込んできたエンジェルリップという魔法のリップを使うと、自信に満ち溢れた性格になることができるので、モデルの仕事に復帰するという話だった。エンジェルリップを使った時の主人公の強気な表情と、その強い女の人特有の美しさが記憶に焼きついていて、最近になってもう1回全巻読んだ。
エンジェルリップは、塗ると綺麗になりまるで別人かのように自信満々に振る舞える魔法のリップだと、小学生の時は信じ込んでいたけれど、大人になった今改めて読んでみると、そういうリップだと思い込むことで、主人公は自己暗示に成功していて、作者は誰でも本来自分が持っているパワーで、苦手なことを克服できることを伝えたかったのではないかと思えた。小学生でもそこに気づいた読者は沢山いたのかもしれないけれど、私は随分と素直にその物語を楽しんでいたらしい。最近、会社の同僚に「結婚しましたか?」と問われた。相手もいないというのに何がどうなって己の結婚の噂が広まってしまったのだろうと、不思議に思いながら「いや、してないですよ」と返した。そしたら今度は「じゃあ新しく彼氏できましたか?」と問われ、「いや、できてないですよ」と2回も物悲しいNoを答える羽目になった。「何でですか?」と聞いたら、「いや最近凄く綺麗になったので」と言われて、相手がその理由を探るために質問していたことを理解する。と共に、嬉しさと気恥ずかしさの混ざった生暖かい何かが胸の方でじわーっと音を立てた。
以前他人に「可愛いね」と言われた時に、何と返したらよいか分からないと言ったら、モテる友人が「そこは普通にありがとうでいいじゃん」と言っていた。「ありがとう」と答えてしまった瞬間に、それは自分が可愛い生き物であることを認めてしまうことになり、私は口が裂けても「ありがとう」と答えることは出来ないと思っていた。しかし同僚に「綺麗になった」と言われた時、生まれて初めて「ありがとう」と答えてみてもいいかもと、自分で自分に許可がおりた。何故そう思えたのかを考えてみたら、この1ヶ月弱の間に、それなりに綺麗になろうと自分がアクションを起こしていたからだった。その時に初めて気づいた。「可愛いね」と言われて「ありがとう」と答える友人の「ありがとう」は、「可愛くなるための努力に気づいてくれてありがとう」だったのかもしれないと。世の中の女性はもっととっくにそんなことに気づいていたかもしれないけれど、私は今ようやくそんなことに気づいた。
きっかけは何だったのか、と聞かれたら、色々あったように思うけれど、世間一般的な理由として期待される「好きな人が出来たから」というものではなく、「人生の初体験に挑戦しようと思ったら、美容方面に沢山残っていた」という理由だった。高校時代に仲の良かった友人が、エステに通っているという話を聞いた時、私はこのまま「エステに通わない方の女性」のまま生きていくつもりなのかと自分に問いかけてみた。そしたら他にも沢山疑問は出てきた。私はこのまま「まつエクをしない方の女性」のまま生きていくつもりなのか。私はこのまま「ネイルをしない方の女性」のまま生きていくつもりなのか。私はこのまま「脱毛をしない方の女性」のまま生きていくつもりなのか。それぞれ何割の女性が体験するものなのか分からないし、体験したからと言って何が偉いという訳でもないけれど、私はどのようにまつエクが行われ、どのようにネイルが行われ、どのように脱毛が行われるのか、身体の不思議に迫ることなく死んでいくのかと思ったら、何だか人生勿体無い気がしてしまった。
そんな訳で、思い立ったが吉日、早速まつエクの予約をした。事前にインターネットでまつエクのいろはくらいは調べていったけれど、「初めてなんです」という私の言葉に店員はさほど心の動きも見せず、「CカールとJカールはどちらにしますか」と図を見せて来た。あ、インターネットで見たやつだ!と進研ゼミばりの予習力を発揮しながら、ぼんやりCカールを頼もうと思ったら、「Cカールは人によっては、ブワァッとなるのでJカールがオススメです」と言われた。ブワァッという擬音語だけでCカールのカール具合を説明しようとする店員さんの助言を信じてよいものか悩んだが、ブワァッとなっては困るのでおとなしくJカールでお願いした。人生初めてのまつエク体験を、この目に焼き付けてやろうと意気込んではみたものの、施術中はずっと目を瞑っており、何が行われているのかを知るには瞼に気持ちを集中させるしかなかった。ウトウトしていたらあっという間に施術が終わり、私の瞼には合計80本の毛が増えた。身体のあらゆる毛は基本的に無い方がよいとされているのに、睫毛だけは増やす方がよいと思われていることに不条理を感じながら、それでも自分の目の輪郭がじんわり濃くなったことで、ひとつの達成感を得られた。私の人生ゲームの「まつエク」が「未」から「済」に変わった。
続いて別の日に同じお店で、ネイルもお願いした。「初めてなんです」という私に、また店員さんはさほど心の動きを見せなかった。客が初めてだろうが、初めてでなかろうが、どうでもよいかもしれないが、ちょっとしたお食事処でも「ご来店は初めてでしょうか」と聞いてくれたりするので、そんなノリで初めてアピールをしてしまう。会社の同期に言われるがままジェルネイル定額コースというものを予約したが、これは目を瞑る必要はないので、ネイリストさんの手の動きをじっくり観察した。じっくり観察した結果、ジェルネイルは私の人生ゲームの中では不要なコマになった。塗るのに2時間半と6,000円かかり、その後オフしに行った時に1時間強と3,000円かかったのだが、それらに見合うときめきが無かった。爪が可愛いとテンションが上がるという話はまさにその通りだと思ったが、飽き性の私は同じデザインにすぐ飽きが来てしまうので、ここは9,000円払って観察したネイリストさんの手さばきを思い出し、今後はセルフネイルに移行することにした。セルフネイルは既に3回くらいデザインを変えたが、やればやる程コツが掴めてくるので面白く、私はこっちの方が向いているかもしれないと思った。これもジェルネイルを体験してみないと分からなかったこと。ジェルネイルも必要なステップだった。
続いて脱毛の話もしたいところだが、予約が一向に取れないのでまだ語れることが何もない。その代わりに話せることと言えば、メイクアイテムが増えたこと。これまでも人並みのメイクをしていたつもりだったけれども、以前にこのブログでも紹介したNMB48の吉田朱里さんの女子力動画をきっかけに、いわゆるYoutuberと呼ばれるメイク動画女子の皆さまの動画を貪るように見た。特に分かりやすくて同じ動画を何回でも見てしまうのが河西美希さん、愛称みきぽん。そもそもの顔が可愛いということが大前提にあるけれども、化粧品によって、またその使い方によって、最終的な完成形が毎回微妙に違うことが興味深くて、これでは化粧をするのが1年に365回しかないの少ないのではないかと思った。目や鼻や口を構成する化粧品がそれぞれのパーツごとに1種類しかなかった私のポーチは、あっという間に膨れ上がり、特に口を構成するためのリップ、グロス類は、口が足りないと思う程の飽和状態になった。唇が一つでは足りないと思ったのは、人生で初めてだった。顔の中で唯一赤みを大々的に出せる場所が頬と唇で、その中でも1日に何回でもやり直しが効く唇に付けてみたい色が世の中には意外と沢山あった。
エンジェルリップではないけれど、お気に入りの色を唇に塗った時、少しだけ人生の先のコマに進めた気がする。当社比で美意識過剰。綺麗になることが最終目的というつもりで走り出した訳ではなく、「人生の初体験に挑戦しよう」という人生企画だったけれど、最終的にこの2週間で「綺麗になりましたよね」「今日はもしかしてデートですか」「何で突然そんなに色気づいたんですか」と容姿についての言及を沢山いただいた。その度に「人生の初体験に挑戦しようとしたらこうなりました」と答えているあたり、まだ精神的美意識が不足していると自分では思うけれど、結構楽しく暮らせるので心の平和は保たれていると思う。もっと早くこの人生企画スタートしておくべきだったと思うところはあるので、やるならお早目に。