映画「図書館戦争 THE LAST MISSION」

トピック「図書館戦争」について

公開開始から1週間、ひとまず3回見て来た。前作も3回映画館に足を運んでいたので、恐らくそれくらいは見に行くだろうと覚悟していたけれど、3回見ても尚飽きる気配がしないので、まだあと数回は映画館に吸い込まれるつもりでいる。前作は主に「堂上教官」というキャラクターに惚れ込んでいたことが複数回通う動機になっていたけれど、今回突き動かされている理由はそんな限定的な動機ではなく、この映画全体に対するときめきが止まらないからではないかと思っている。原作を読んでいなくとも、前作を見ていなくとも、このパラレルワールドを理解するために必要は情報が全て台詞に組み込まれていて、エンターテイメントとして誰でも咀嚼しやすくなっている。本来は難解で現実世界には起こり得ない設定のはずなのに、スッと喉を通っていく分かりやすさがある。

今回描かれていたのは、法務省傘下にある良化隊と、地方行政に属する図書隊の、戦いの葛藤だったように思う。松坂桃李さん演じる手塚慧という悪役が、このパラレルワールドを分かりやすく解説する役割を担い、そして尚且つメディア良化法という法律を“世紀の悪法”と呼び、改めて見つめ直す役割を果たしていた。本や表現の自由を守るとは言え、武力を用いて良化隊に抵抗する図書隊の行為は、「大義を振りかざしても戦争」と手塚慧は言いくるめる。その言葉を受けて、図書隊の防衛部員として戦っている笠原は、「私たちの存在は無意味なんでしょうか」と自分たちが信じてきたことを揺さぶられることになる。パラレルワールドとして飲み込んでいたはずの「メディア良化法」や「良化隊と図書隊の対立」という設定を、ここで一旦私たちはもう一度バラバラにさせられ、そもそもこの設定の始まりとは何だったのか原点に帰ることになる。

「メディア良化法」の始まりは手塚慧が映画の後半部分で解説してくれる。言葉を凶器にして振り回す人々が増えている、世の中がそれほどまでに悪意に満ちていたからこの「メディア良化法」が出来たのだという。表現の自由を奪われたはずの人々は、この法律に対して、また良化隊と図書隊の検閲抗争に対して、もっと関心を向けるべきはずなのに、街の人々はまるでこのことに興味がない。その描かれ方がとても印象的だった。検閲抗争のやり取りを音声で聞きながら、街中を運転している手塚慧。キラキラと煌く街の大きなモニターに良化隊と図書隊の検閲抗争が始まったニュースが流れる。しかし街の人々はそのニュースに見向きもせず、皆各々の幸せに夢中である。何処かで誰かが血を流して自由を守っていても、それが全く世界の中心にはないことのやるせなさ。スローモーションで流れる映像と、ゆったりとした音楽、足並み揃えて一歩ずつ近づいてくる良化隊、手塚慧の言う「世界の歪み」が不気味に表現されていた。映画前半部分で私が最も好きなシーン。

その不気味なシーンの対として、後半部分にやってくるのが、良化隊との全面戦争の最中に、堂上と笠原が何でもない会話のやり取りをするシーンである。それまで緊迫した戦闘シーンが続くのに、突然時間が止まったかのように、二人は話し始める。照明弾が図書館の外で眩しく光るのを見つめながら、笠原は幼い頃図書館の屋上で花火を見た話をし、堂上は父親の作るお好み焼きの話を始める。いつ敵に見つかるか分からない状況なのに、二人の会話にはまるで緊張感がない。たった一瞬だけれど「世界に二人だけ」の状態が成立している。美しい。このシーンは監督が絶対に入れようと思っていたシーンだったとパンフレットで読んだ。前作、私は長時間に渡る戦闘シーンの緊張感で見たあとに酷く疲弊してしまっていたのだが、今作はこのシーンが入ることによって、視聴者としても一旦緊張感から解放されて自由になれる。また、戦闘する人間一人一人にも家族があり、それなのに血を流さなければならない戦争の残酷さを強調している。この美しいシーンを見るために、あと何回映画館に足を運ぶだろうか。

話は変わるが、私は本が好きという以上に「本のある空間」が好きで、以前には本屋についてこんな記事を書いたこともあった。「図書館戦争」の何にそんなに惹かれているのか、もっと単純な話をするとすれば、きっと「本のある空間」が絶え間なく登場するからだと思う。建造物として美しい設計がなされている図書館に綺麗に陳列されている本、その様子を見るだけで興奮するし、その本たちが戦闘によって粉々にされる様は胸が痛む。映画の中盤には、移動中の車内で堂上教官が本を読んでいるシーンが出てくる。そう言えば図書隊は本を愛している割に、隊員が本を読んでいるシーンはなかなか出てこない。カバーを外した裸の文庫本を持った堂上教官は、紙の上部を指でそっと撫でながらページを開いていく。その所作の美しさにほっと胸をなでおろした。あんなに部下に対して厳しく戦闘中は激しいアクションをこなす人でも、本と向き合えば繊細で誠実である、ということがさり気なく読み取れるシーン。ページをめくる音すらも綺麗。その瞬間に、私は「本」というアイテムを通じて、この物語に、この世界に、惚れているのだと分かった。

現実世界は「表現の自由」が規制されていないはずなのに、好きなものを自由に表現することは相変わらず難しい。この映画に対する自分の高揚感を上手く書けたのか分からないが、何かもうどうしようもなく書きたくなって、また映画館に足を運びたくなった。