Amazonでは味わえないときめきがここにある

本屋が好きだ。週に5日は本屋に行く。用事がなくても本屋に行く。疲れていても本屋に行く。むしろ疲れている時こそ本屋に行く。前回の来店時とほとんど品揃えの変わっていない棚をじーっと見つめ、昨日の私の琴線には触れなかったけれども今日の私の琴線には触れた本を取り出して、パラパラと中を覗く。新書特有の独特の匂いが紙の隙間からふわっと漂い、ページにびっしりと埋まっている、あるいは余白を演出している文字たちのダンスを堪能する。平仮名は淡く揺れ、漢字は力強く主張する。まだ見ぬこの世界に飛び込んでみたいと感じたら、それはもう恋だ。真っ直ぐレジに向かい、財布の中の硬貨と交換する。その他の未知の世界を棚に残したまま、私はこれから向き合うたったひとつの大切な世界を胸に抱えて本屋を出る。冒険の始まり。

東京の大学に通っていた4年間、私はずっと本屋でアルバイトをしていた。けして読書量が多い訳ではないが、本屋という空間が何より好きだった。大学の講義が終わったらそのまま大学の最寄り駅の本屋に寄って、その後自宅の最寄り駅の本屋にも寄っていた。特に目的もなくふらふらと寄って全く何も買わずに帰ることもある。むしろそちらの方が多かったかもしれない。けれども時々胸が高鳴る程に本と目が合って、衝動を抑えきれぬまま購入して帰ることがある。その行為自体にときめきがあって半ば中毒的に本屋に足を運んでいた。

その中でもジュンク堂池袋本店に足を運ぶのが一番好きだった。池袋駅で降りて西武池袋に入っているLIBRO池袋本店にも勿論足を踏み入れておきながら、そこでは本は買わずジュンク堂を目指して足を進める。そびえ立つジュンク堂のビルを見上げて、今日はここで何冊の本と目が合うのかわくわくしながら中に入る。1階はずらりとレジが並ぶ。ジュンク堂は各階にレジを設けるのでなく、1階に全てのレジを集約させている。そのおかげで、他の階で見つけた本をそのまま別のフロアに持ち込むことが出来、お客さんが思い思いに見つけてきたお好みの本を持って同じフロアに集結しているところも好きなところだ。本好きが集まる店内は、互いに配慮された静けさを保ち、棚の前をまるで息を合わせるようにしてクロスして立ち位置を変えたりする。初めて会う知らない人と、無意識の内に合う呼吸がおかしくもあり嬉しくもある。店内にいるお客さんのほとんどが一人で来店しているというところも好きだ。

ジュンク堂で買った本を持ってそのまま隣のスタバに流れ込むのが通例だった。2階にはテスト勉強をしている高校生、の隣でジュンク堂の袋の中から取り出した本を読んでいる人が多数いる。考えることはみんな同じだ。先ほど店内で見つけた本とそこで2時間程睨めっこしてフラペチーノもすっかりなくなった頃、充分に満足して帰路につく。それが大学時代の私にとってバイトがない日の究極の贅沢だった。

そんな大学時代を終えて、四国の田舎に戻って来ると、ジュンク堂ほどのときめける本屋には出会えなくなった。欲しいと思った本は市内の大きな本屋にも置いていないことが多く、結局Amazonでポチっとするしかなく、中身も覗けないまま自宅に到着する。それはそれで便利かもしれないが、欲しいと思った衝動とのタイムラグと、自分の掌で一度も踊らせることのないまま自分のものになってしまうことに、何とも言えない切なさがあって、やっぱり基本的には本屋に足を運びたいと思ってしまう。

「そろそろまた大きな本屋をゆっくり散歩したい」と思っていた矢先、アイドル現場への遠征の際に珍しく何の予定もない空白の時間が出来た。思い立ったのは遠征の前日、「そうだ、ジュンク堂梅田店、行こう」。私が大学時代に通っていたジュンク堂池袋本店よりも大きいらしい梅田店、むしろ日本一広いと言われる梅田店。方向音痴に定評のある私にiPhoneの充電が切れてしまうという最大のピンチが重なったが、ジュンク堂への自分の執念のおかげか、全く地図を見ずに勘だけで歩いていたら、驚く程スムーズにジュンク堂にたどり着いた。これが動物の本能というやつか。
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約4年振りに訪れるジュンク堂は、相変わらずのときめき空間で、私は文芸フロアをぐるぐるすることだけに2時間を費やした。背表紙に印字されているタイトルを眺めて気になったものを手に取り、またそれを元に戻し、そんなことをフロアのあちこちで繰り返し、最終的に一番シンパシーを感じた本を最後に迎えに行き、1階にずらっと並ぶレジでお会計を済ませる。外に出たら目の前にスターバックスコーヒーがどうぞと言わんばかりに建っていたが、中が激混みだったので本はホテルに持ち返り一人の部屋でひっそりと読み始めた。

ジュンク堂と言えば昨年秋に、「ジュンク堂に泊まれるツアー」を開催していた。羨ましい。アイドル現場と同等のときめき価値のある現場として、私も参加してみたかった。この世にはまだ私の知らない世界が、知らない文章が、知らない言葉が、溢れていると思い知らされる無知の快感。ずらりと棚を埋め尽くす本の中から自分の人生で向き合えるのはほんの僅かである。明日も、明後日も、ときめきを求めて私は本屋に向かう。