初めて嵐のDVDを買った。と言ったら凄く意外がられたのだけど、ライブDVDは単価が高くそんなにホイホイ色んなグループのものを買える訳ではないので、今まで嵐のライブDVDに手を出した事は無かった。では何故今回突然手を出したのかと言えば、15周年でハワイで行われたコンサートのライブビューイングを見て、記念年を祝う意味ではないノーマルな嵐のステージが見てみたいと思った事と(一度だけ嵐のコンサートに足を運んだ事があるがそれも10周年の時だった)、あとはこのツアーが様々な最新の技術を駆使したものであるという噂を聞いていた事から、DVDが出たら絶対に見なければと感じていた。ちなみに15周年のハワイライブビューイングの感想はこちらに記してある。
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アルバム「THE DIGITARIAN」の音源を聴いた時、これは私の様な普段アイドルの楽曲しか耳にしない人間にとって、音だけで全てを理解して楽しむ事は難解なんじゃないかと思った。専門的な音楽知識が無いのでアルバム全体の何となくの雰囲気を感じ取る事は出来るが、「Perfumeっぽい…?」という貧弱な感覚でしか捉える事が出来なかった。これが映像になった時、果たしてそれは「アイドル」を求めている人の嗜好とマッチングするのか、と考えたがそんな自分の凝り固まった思考を反省したりもした。ライブビューイングの記事にも記していた通り、私はそもそも既に売れているもの程興味を持たない傾向があり、それは彼らが「既に売れている」という状態だからこそ纏える人気ゆえの説得力が、評価に加算されると思っていたからだった。だから正直嵐がどんなステージを見せていようがファンは喜ぶだろうし、チケットの倍率は高いままを維持するし、人気は暫く衰えないだろうと思っていて、DVDを見て「人気はあるけどコンサートはそこまで」という風に感じる事は、それはそれで有り得る事だろうなと身構えていた。いやむしろ発展途上のグループを応援する事に楽しみを見出している身としては、そろそろ道を開けて貰う為に、「そこまでのコンサート」を心の深いところでは望んでいたのかもしれないと、見終わった今なら言える。
そんな長い前置きをしたのでもうお分かりかと思うが、言う間でもなく人気があることにぶら下がった手を抜いた嵐のコンサートなど無かったのだ。各メンバーに装置を付けコンサートの間中心拍数を数値化したものを画面に映し出し、メンバーの体内の変化を視覚化して見せてくれたり、「ファンライト」という新しいアイテムを使用して客席に光るライトの色を操作して、観客も演出に参加出来る仕掛けを作ったり、とにかくこれまで他のグループのコンサートでは見た事のない場面に何度も遭遇するのだ。その度に私は「そこまでのコンサート」を望んでいた自分を恥じ責めなければならなかった。悔しいけれど、面白い。悔しいけれど、上手い。悔しいけれど、トップは譲って貰えない。全てに「悔しいけれど」を付けたくなる絶妙な屈辱感が嵐を見ている時には常にある。
その絶妙な屈辱感が何であるかは、このDVDの特典映像である「スッピンデジタリアン」を見ていた時に何となく分かって来た。彼らは常に正しいのである。私が強烈にその正しさを感じたのは、今回のツアーの最終日、相葉さんの誕生日をサプライズで祝う為に、他のメンバーが準備している場面だった。サプライズを考えたのは松本さん。東京ドームのスタンド席に「オメデトウ MASAKI」という文字をファンライトで作る為に、ファンライトを点灯させる客席にその目印としてのシールを貼る作業を、何と本人たちがやっていたのだ。しかも相葉さんにバレないように、相葉さんよりも早く会場入りして全員で。鈍器で頭をぶたれたような感覚だった。嵐ほどのタレントともなれば、「こういうサプライズ企画やりたいので、あとはスタッフ準備お願いします」と一言言っておけば、客席のシール貼りなんて一番下っ端のバイトでも出来る作業なのに、それを本人たちの手で全部で無いにしても、連日公演の疲れも残る中、通常より早く会場入りして誰も文句を言わずに、むしろ嬉々として作業している姿は、圧倒的に「正しい」と思った。それは文化祭の日に、他の生徒たちより早めに来て準備をする生徒会のようだった。誰か一人だけでも気怠い雰囲気を醸し出していてくれ、誰か一人だけでもこの状況に納得いかない表情をしていてくれ、と願ってみるのだか驚く程にみんな相葉さんへのサプライズに前向きなのである。なかなかのショックだった。全員が綺麗に正しい方向を向いている美しさは、少しでも正しくない可能性を疑った自分にとってなかなかのショックだった。
また嵐のこの「正しさ」はメンバーの関係性からも読み取れる。特典映像では楽屋の場面がよく映し出されていたが、そこで何となく他のグループとの相違点がある事に気付く。「弄られ役の不在」である。5人以上のグループともなると、世間へのキャラクター付けの意味も含めて「弄られ役」というのが出来上がる。その「弄られ役」は楽屋でもメンバーの間でその役割に徹する事が多く、たまに過剰な弄りにファンは冷や冷やさせられる事もある。困った時にはその「弄られ役」が場の空気を温めるよう話を振られる場面が多いが、嵐にはその困った時に弄られ役を弄るという文化が無かった。全員がそれぞれを尊重した振る舞いは、やはり「正しく」、平等に対等に作られた関係性は、誰がセンターになっても様になる嵐の武器の一つに繋がっていると思った。
今回のコンサートDVDの中で私が一番感銘を受けたのは「Hope in the darkness」という楽曲のパフォーマンスだった。胎児の様に蹲った状態でメンバーが一人ずつステージに登場する。むくりと起き上がったかと思えば、ゆっくり腕の筋肉をそれぞれの方法で動かす。そうすると筋肉の動かし方によって別の音が出る、という仕組みになっているのだが、それを5人分合わせてこの楽曲を作り上げるというパフォーマンスが繰り広げられた。いまいち文字にしてみたところで臨場感は全く伝わっていないと思うので、是非気になった方は目で見て耳で聞いて確認して欲しいのだが、この曲に振り付けはなく、嵐はただ繰り返し腕の筋肉を動かし続けるだけになる。真っ白な衣装を着て無表情でただひたすらに。その姿は音さえなければマネキン人形の様な虚無感であるが、彼らの身体の動きと共に鳴る音があるだけで、彼らから凄まじい生命力を感じる事が出来るのである。確かに今ここで、彼らは生きているという事を実感させられるパフォーマンスだった。アイドルは、時に人間を超越した存在としてステージに立っているように見える事が何度もあるが、むしろその頻度の方が多いかもしれないが、これほどまでに彼らが人間として生きている事を訴えられる景色は無かった。「アイドルらしい」ものを好みがちな自分の評価軸とは別の枠で、この楽曲のパフォーマンスを好まざるを得ない、本能的に選択したくなる引力があった。
そんなに簡単に「コンサートに行ってみたい」なんて言えないのが嵐であるが、DVDを見終わった感想としてはやはりそこに行き着く。DVDで見るものと現場で見るものにはやはり少し隔たりがあり、現場でしか見る事が出来ない会場の空気もある。それに直に触れてみたいと思ったが、やはりそんなに簡単に叶うものでも無いので、暫くはうっとりとこのDVDを繰り返し見ていようと思う。
(私が見たのはDVDの初回盤だったけど、何故か貼り付けられるのがBlu-rayの通常盤だけだった。)