「落選した人の気持ちも考えてください」の「落選した人の気持ち」

「チケットをお取りする事が出来ませんでした」
「チケットをお取りする事が出来ませんでした」
「チケットをお取りする事が出来ませんでした」

電話の向こう側で自動音声は容赦なく現実を突き付けてくる。昨夜、夏から始まるV6のコンサートの当落が発表された。そこで私は恐らく人生で初めてとなる「全滅」という状態を味わった。自分で申し込んだ名義、また友人と一緒に協力して申し込んだ名義、その全てが「落選」だったのだ。マジか。人生で初めての経験は、たとえ悲しい事であろうとも、文字に残しておくべきではないかと、コンテンツ脳が目を覚まし、こうしてキーボードを叩いている。悲しい経験ほど、文字に起こしておくのだ。

私はこれまで比較的チケット運は良い方だった。倍率が高いとされる公演も、ちゃっかり当選してしまう、行きたいと思った公演はそれなりの準備をして申し込めば何とかなるという頭があった。だから「全滅した」という話は、自分にとってどこか現実味を帯びていない話だった。勿論、応援しているグループ・申し込んだ公演によって倍率は様々なので、本当にチケットの取れないグループ・公演というのは存在するのだが、そんな高倍率なチケット戦争に自分は出来るだけ関わらないコースを選んで来たので「全滅」とは無縁の環境に居た、と言った方が正しいのかもしれない。

ジャニヲタには昔悪しき風習があり、いや今もまだ現役バリバリの風習なのかもしれないが、高倍率の公演に当たった人が「当たった」と呟くと落選した人が「落選した人の気持ちも考えてください」というリプライを送る、眉間に皺を寄せたくなるやり取りが存在していた。誰もが平等にコンサートに行きたい気持ちがあり、ファンクラブに入ってさえいれば誰もが平等に申込をする事が出来る、新規も古参もチャンスは全員に同じように存在しているのに、次の瞬間に「当選」と「落選」に振り分けられ平等ではなくなってしまう。何もこの仕組みはジャニーズ事務所から始まったものではない、宝くじ、懸賞、人生のあらゆる場面で私たちは「当選」と「落選」に振り分けられて来たはずだ。その度に落選者が当選者の胸ぐら掴んで「落選した人の気持ちも考えろ」と言っている風景を見た事なんてないのに、インターネットの上ではそんな野蛮なやり取りが成立するのだから不思議である。

そんな事を考えている内に、いよいよ私も「落選した人」になってしまった。「チケットをお取りする事が出来ませんでした」というアナウンスを耳が受け入れた瞬間に考えた事は、「最近自分何したっけ」である。神の存在を信じる宗教には入っていないが、日々一生懸命に生きていれば必ず良い事は起こるくらいの事は信じて生きているので、「落選」という現実を突きつけられた瞬間に、その要因を突き止める為の過去を遡り始めた。休日に昼間っからハーゲンダッツのアイスを食べるという贅沢をしたのがいけなかっただろうか、気分が乗らないからという理由で先月はまともにブログを書かなかったのがいけなかっただろうか、クソDDという名称に甘えて他のグループに手を出しすぎたのがいけなかっただろうか、色々考えてみたけれど「落選」という事実に変わりはなく、これからの生活の中で次の機会の為に徳を積んでいくしか手段はないのである。

大抵のショッキングな出来事は、「ガーーーーーーン!!!」と口に出して言う事で、結構どうでもよくなって来るので人にもお勧めしているのだが、今回の事は何回「ガーーーーーーン!!!」と声に出してみても、「ガーーーーーーン!!!」はそれ以上でもそれ以下でもなかった。ただの「ガ」と伸ばし棒と「ン」とビックリマークでしかなかった。残念。そう、残念としか言いようがないものなのだ。自分のショックの受けっぷりから改めて対象に対する情熱を実感するしかないのだ。愛と徳を積み続ける事の大切さを教えてくれる、それが「落選」なのだ。もう何言ってるか分からなくなって来たが、要するに私はV6が好きってことだ。