結局自分の過去の日記がこの世で一番面白い読み物になるからこれからも未来の自分がゲラゲラ笑う為に書き続けなければ
— あやや (@hraom) 2015, 9月 7
って昨日呟いた。基本的に自分が直近で書いた文章はあまり読み返さないのだけど、3年以上前の文章をたまにふと読み返すのが楽しい。インターネット上に自分の文章を残し始めたのはもうかれこれ10年くらい前。飽き性なのでツールはその時々によって変えて来たので同じ場所で書き続けている訳ではないけれど、それらは今でも自分で何処に書いて来たか覚えているので、たまに見に行ったりする。私はインターネットに文章を書き始めた時からずっとこういう書き方をしてきた訳でなく、その時々に好きだったものやその時憧れていた人によって文体が全然違う。今の私の文章しか知らない人が読んだら、別人と思われてもおかしくないくらい、異常なテンションの高さで書かれた文章もある。その時は「地面から5cmくらい浮いていた」と当時お互いの文章を読みあっていた友人らと思い返す。でもその当時の文章も、紛れもなく自分の中から生まれた言葉が並んでいるので、間違いなく心地よい。こんなことを言うと、自己愛の激しい人だと思われかねないけれど、結局は自分のツボも自分の言いたいことも自分の好きな言葉も全部押さえているのは自分の文章しかなく、他の誰の文章を読むよりも面白いのだ。この時はボキャブラリーが今より少なかったけど、それでも今よりずっと率直に言葉が並べられている、この時は文章を書くことに力が入りすぎて、何にも面白いことが言えてない、そんな過去の自分の文章がこの世で一番面白い読み物になる。最近ちょっと文章を書く気になれないでいた。何を書いてももう一人の自分から全部駄目出しが入って、上手く書こうとすればする程何にも書けなくなっていた。自分が一番面白がれる読者だったはずなのに、いつしか自分が一番自分の弱点を知っているアンチ読者になっていた。そんな時に過去の自分の文章を読んだら、何にも恐れずに自由に開放的に書かれていて、未来の自分が読んでもやっぱり面白くて、もっともっと先の未来の自分がゲラゲラ笑う為に、今も書き続けておかなければと思った。自分が書いた文章で自分が楽しめる、そんな単純な自分で良かった。未来の私、これ読んで笑ってる?