幸福な読書体験 恩田陸『蜜蜂と遠雷』

“2017年は本を沢山読む”という目標を立てた。昨年は仕事に追われて時間的にも心理的にも余裕がなくて、本を読む習慣がすっかり無くなってしまっていたけれど、読書は自分を構成するための大切なピースの一つだったのではないかと気づき、ぽっかり空いてしまった穴を埋めるように本を読もうと、年が明けてから決意した。そんな今年の読書の第一作目に選んだのは、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』。大好きな朝井リョウさんが『ご本、出しときますね?』や『真夜中のニャーゴ』で絶賛していたのが印象的で、読みたい、というよりも、読まねば、という気持ちで、Kindleで購入した。しかし単行本では、2段組507ページという長編。いくら朝井さんが面白いと絶賛したと言えども、久しぶりに読書復帰する人間にこの長編を読み切れるのか、という不安はあった。舞台は自分に馴染みのないピアノコンクールの話。私は「読み切る」という成功体験を味わえるのか一抹の不安を抱えながら、ページを開いた。

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

あぁ、これは面白い…っ。と感じるまでにページ数はさほど要さなかった。読み終えた時に朝井リョウさんが言っていた「これを今から読める人が羨ましい」という言葉の意味が、とてもよく分かった。久しぶりに「夢中になる」という体験をした気がする。一週間くらいかけて読んだが、続きが早く読みたいがために、出来るだけ仕事が早めに終わるような工夫をしたり、帰宅したら全ての雑用を素早く終わらせて、Kindleを出来るだけ早く開くことに神経を集中させた一週間だった。読んでいない時間も、物語の中をふわふわと浮遊しているようで、本当に幸せな読書体験だった。では何がそんなに楽しかったのか、思いつくままに書いておきたい。

あらすじは以下のとおり。

3年毎に開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが引けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで妻子もおりコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール19歳。彼らをはじめとした数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

舞台はピアノコンクール。私は小学生の時にピアノを習っていたまでで、今では猫踏んじゃったしか弾けないレベルの人間だが、この本は特別ピアノや音楽や芸術に造詣が無くても全然読める。正直どの楽曲や音楽家の名前を聴いてもピンと来ない。普通であればその瞬間に物語から追い出されたような気持ちになるのだが、この作品ではキャラクターがピアノを弾いているシーンで一番物語の中へ吸い込まれる。4人のキャラクターが交代でピアノを弾くシーンが出てくるのだが、その度に違う手触りで書き分けられていて、似たようなシーンに一度も出くわさない。誰かにハプニングが起きる等という分かりやすいエピソードが加わると、各々の違うシーンが書けてしまうかもしれないが、そういった特別な何かが起きる訳ではなく、それぞれの唯一無二の才能が分かりやすく書き分けられている。そして同時に音楽が聞こえてくる。名前を聴いてもピンと来ない楽曲も、文章を読んでいる内におおよそどんな曲であるか理解出来てくる。まるでそのコンクールが行われている会場の客席に座っているかのように、臨場感のある音楽が耳の側で聴こえ始める。ピアノを弾くシーンは、「私今、この物語の中を生きてるかもしれない」と思える瞬間が何度もあった。

そして何と言っても、私が一番この作品で興奮を抑えきれなかったのは、キャラクター設定。主要な登場人物として挙げられている4人は、それぞれがピアノの神様から愛された「天才」と呼ばれる人々で、「天才」がいると必ずその対比として描かれる「努力家」が存在しなかったことが印象的だった。全方位天才。国際ピアノコンクールの上位層ともなれば、現実世界でも神に選ばれし「天才」が占めているというものかもしれないが、物語の鉄板としての「努力家」が居ないということが随分新鮮だった。私は大体いつも「天才」よりも「努力家」の方に気持ちが傾倒しがちで、その泥臭さに胸を撃たれやすいのだが、今作はその余地がなかった。

唯一4人の中で一般読者が感情移入しやすいのが、年齢制限ギリギリで挑んだ高島明石。妻子持ちで楽器店勤務という普段は普通に生活している人間が、コンクールに挑む。他のコンテスタントは、時間の全てを音楽にかけて挑むのに対し、生活者の明石は仕事等の空いた時間を見つけて練習を繰り返す。そんな中で明石は疑問を抱く。

俺はいつも不思議に思っていた―孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?と。
生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。(53ページ)

この言葉は印象的で、生活者にしか弾き出せない音楽があり、生活者にしか表現出来ない芸術があって欲しい、と切に願ってしまった。

明石に感情移入する一方で、「私ってこんなに天才が好きだったんだ」と気づかされたキャラクターが、風間塵。塵が登場する度に胸の高まりが止まらなかったので、ちょっとした恋に間違いなかった。養蜂家の父と一緒に世界を転々として暮らしているため、家にピアノが無く、コンクールで優勝したら父がピアノを買ってくれる、というモチベーションのためにコンクールに挑んでいる少年。そんな彼の後ろには弟子を取らないことで有名だった偉大な先生がついていたことも合間って、コンクールの中でも特に異彩を放つ存在になっていた。けれども彼自身はそれがどれだけ特別なことであるか、コンクールで生き残っていくのがどれだけ過酷なことなのか、そういったことにはほとんど無頓着で、ピアノが好きだから弾く、音楽が好きだから「音楽を世界に連れ出したい」という動機でピアノに向かっている姿が何とも愛らしかった。もしこの作品が実写化されるとなった時、風間塵の役を誰が演じるか問題で、私の中でちょっとした戦争が起きやしないか、もう既にドキドキしている。

明石に感情移入し、塵に恋し、まだあるのかと思われるかもしれないが、誰の視点に一番嫉妬したかと言えば、元天才少女・栄伝亜夜の友人、奏だった。コンクール中の栄伝亜夜の様子を見守るため、最初から最後までずっと彼女の隣にいるのだが、「天才の友人」というこのポジションが一番個人的に羨ましくてたまらなかった。「天才」にはもちろん憧れるのだけれど、天才には天才ゆえの苦悩があるということも踏まえると、「天才の友人」である奏の視点が欲しいと思った。自慢の友人を持ち、その友人の周りに起こる凡人には到底理解不能な現象を、じっくり堪能してみたい。亜夜がアイドルだとすれば、奏はそのトップヲタのようなもので、そのポジションが心底羨ましかった。しかし奏も奏で、彼女が演奏する楽器の世界ではきっと「天才」と呼ばれる部類の人間で、やはり天才の友達も天才なのかもしれないということに気付いてしまう。


「コンクール」というものが題材になると、ついつい競争心を剥き出しにした人間ドラマを期待してしまうけれども、この作品に出てくる天才たちは、常に自分の音楽は追究し、ライバルの演奏を聴いてはそれを評価し、自分の成長に繋げていく。誰も敵対心を育てないあたりがとても健全で、それゆえに程よい緊張感はあるものの、スリルを味わうような瞬間はなく、ひたすらに綺麗な音楽たちと触れ合える。いや、実際に私が触れ合っているのは音楽ではなく文字なのだが、私はもうすっかり音楽と触れ合っているつもりでいるところが、この小説のすごいところである。最後に近づくに連れて、ちょっとずつ私もピアノに触れてみたくなってきていたので不思議である。もう猫踏んじゃったしか弾けないくせに、クローゼットの奥底に眠っているキーボードを取り出して、音を鳴らしてみたくなった。

本当に幸せな読書体験だった。2017年の一作目にこの作品に出会えて良かった。数日後の直木賞の発表が待ち遠しい。