「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!”」

4月29日、30日、KAT-TUNの10周年ライブに行って来た。書き始めておきながら、未だに感情は綺麗に整理出来ていなくて、この文章が最終的にどんなところに終着するのか、自分でもまだ分かっていない。けれども私の記憶の中にある景色が薄れない内に、何処かにしっかりとその記録と感情を残しておきたいと思って、キーボードを叩いている。

私は、これまでKAT-TUNを担当した(一番に応援した)ことは無いけれど、KAT-TUNのコンサートがこの世で一番好きだと公言している。初めてKAT-TUNのコンサートに行ったのは、2009年。8日間連続の東京ドーム公演をした年。東京ドーム史上最多連続日数公演の記録はKAT-TUNが持っていて、今後もこの記録はなかなか塗り替えられないのではないかと思う。その記録的な公演に、少しだけお邪魔しようと思って初日を見に行ったら、すっかりKAT-TUNのコンサートの虜になってしまい、気がついたら元々飲み会が入っていた日を除いて、7日間東京ドームに通っていた。

KAT-TUNのコンサートの何にそんなに惹かれてしまったのか、それは“圧倒的な非日常空間”がそこにあるからだった。とにかく演出が分かりやすく派手で、ステージでは激しく特効を使用し、日常では絶対に見ることの出来ない一瞬一瞬で構成されていく。目の前に生身の彼らがいるのに、その存在はテレビで見ている時より遠く感じ、見れば見る程彼らが神格化されていくことが、きっと快感だったのだと思う。他のアイドルのコンサートを見に行っても、どうしてもKAT-TUNのコンサートの迫力と比較してしまう気持ちが拭えず、いっそKAT-TUNのコンサートなんて知らない方が良かったと思う程だった。

そんな彼らの10周年コンサートを見ない訳にはいかないと思って足を運んで来た。彼らはこのコンサートが終わると充電期間に入ってしまう。メンバーの脱退が続き、このまま続けていくべきか考えた結果、個々の力を伸ばす期間として、充電期間を設けるという。この発表を聞いた時、率直に誠実だなと思った。もちろん彼らの活動が暫くの間見られないことは私も寂しく感じているが、この状況に対してどう対応するか、成り行きに任せて曖昧にすることだって出来ただろうに、しっかりと自分たちの未来を見据えて今後について伝えておく誠実さにはやはり好感しかなかった。「続ける選択」と「続けない選択」、続けない選択をすることの方が時には続けることよりよほど勇気が必要だ、ということをまた実感することになった。

そんな彼らがステージに登場した瞬間、何とも言えない感情に胸をドンッと押されて、堪えようとすればする程涙が溢れ出てきた。KAT-TUNはいつも“エモさ”を選択しない。どんな物語を歩もうと、それをエモーショナルにコンサートに反映することはない。むしろ今回も自分たちが充電期間に入ることを逆手に取って、ツアーグッズとして「充電器間」という名前の充電器を販売するくらいのユニークさを発揮している。その信念は今回もブレることはない。仮にこの空間の中に“エモさ”があるとすれば、それは物語によるものではなく、シンプルに10年間の歴史によるものだと感じた。そのKAT-TUNの器用さが今回ばかりは却ってこちらを感情的にさせ、ステージに登場した3人の姿が涙で滲んで見えた。

コンサートについては、10周年の記念年ライブとしての要素が強く、本人たち以外のバックダンサー等は一切つけず、映像で場を繋ぐシーンも必要最低限に抑え、3人がお客さんの前にいる時間を長く取っているように感じた。KAT-TUNはこれまでにも、2013年末に京セラドームで行われたカウントダウンライブで、一旦これまでの歴史を振り返る集大成的なライブを仕上げ、また昨年2015年に東京ドームで行われた「9uarter」ライブでも、傑作と呼ぶに相応しいライブを作っている。この2つのライブが印象的だっただけに、今回の10周年ライブをどんな風に飾るのだろうと思っていたが、一秒でも長く一曲でも多くファンと一緒に、KAT-TUNの楽曲を共有して楽しむことを軸に据えているように見えた。もちろんいつもの特効を使った派手な演出も健在で、私は1日目に1階スタンド、2日目には2階スタンドで見たのだが、距離の近さはそのまま満足度に比例しそうなものなのに、KAT-TUNにおいては2階スタンドから見た方が、演出の迫力をより体感出来るということを改めて感じた。

コンサート終盤でお馴染みの楽曲「Peaceuldays」が流れ始める。スタイリッシュな楽曲が続いてきた中で、この楽曲の時だけカラフルでポップな映像と共に彼らの名前を一文字ずつ叫んでいくのはいつも不思議な気分だ。ああ、もう終わっちゃうんだな、ということをこのタイミングで毎回実感しなければならない。そんな楽曲の歌いだしの歌詞を見て、またグッと胸が締め付けられるような気持ちになった。

ずっと側にあったモノが 突然消えてしまったのなら
どんな不安を抱えるだろう どんな痛みに泣くだろう?
ずっと側にあるんだと 自信過剰になってしまったら
どんな仕打ちにあってしまうのだろう?
http://www.kasi-time.com/item-21357.html

彼らはけして自分たちの物語をエモーショナルに語らないけれど、物語を重視してしまうアイドルファンとしては、そこにどうしても想いを馳せてしまう。映画だって、ドラマだって、漫画だって、きっとここまでの展開はない。仮にこれが漫画だったとしたら、作者は今頃読者から反感を買っていると思う。けれども現実世界には、作者なんていない。誰かが自分の思い通りにキャラクターを動かしている訳ではない。「運命」という言葉で片付けるしかないこの現実には、「悔しい」という感情を傾けるしか出来ない。彼らが表立って弱音を吐かない以上、こちらも毅然とした態度で受け入れなければならない気持ちと、そんな風にみんながみんな強くいられないという気持ちが、東京ドームの中で混ざり合って涙となって溶けていくようだった。そんなKAT-TUNとハイフン(KAT-TUNファン)の関係性は、とても美しかった。

個々の力を伸ばすための充電期間、と聞いた時、誠実だと思ったのと同時に、自らに課題を課すKAT-TUNの強さに痺れた。「活動休止」と言うのと「充電期間」と言うのとでは、同じようで全然違う。その期間を終えた時に、必ず今より成長しておかなければならないというプレッシャーを自分たちにかけている。きっと彼らなら有言実行してくれる、という揺るぎない信頼感がある。充電期間を終えた時、また新しい視点で作られるKAT-TUNのコンサートはきっと楽しいこと間違いないので、その時を心待ちにしている。