#わたしの転機

大学に入学したら様々なアルバイトを経験しようと思っていた。高校時代はアルバイト禁止の学校だったため、18歳は大学への進学と共に、アルバイトデビューの年にもなった。しかし私は、大学時代の4年間たった一つのアルバイトしかしなかった。就職活動の為に休んでいた期間を除いておよそ3年半、一つのアルバイトをやり通した。やり通した、というと強い意志を持って続けて来たようなイメージになるかもしれないが、夢中になってアルバイトをしていたら4年間が過ぎていた、の方が感覚的には正しい。

私が学生時代にしていたアルバイトは、古本屋の店員だった。古本屋、と言うと誰もが思い浮かべる全国展開されている、あの古本屋である。私は大学の最寄駅近くに新しくできる店舗のオープニングスタッフとしてアルバイトデビューした。オープニングスタッフだから決めた、という訳では無く、単純に昔から本屋が好きだからという理由なのだけど、立ち上げの高揚感を仲間と一緒に味わえるのでオープニングスタッフを経験することをお勧めする。

何故この古本屋で夢中になって働けたかというと、一アルバイトスタッフに「物の売り方」を考えさせてくれるからだった。社員も勿論居て、大まかな方針は社員が決めるけれど、その他の細かな仕事配分はアルバイトスタッフにも決定権を委ねてくれる。ここの店舗はこの時間帯にお客様が集中するので、その時間帯には棚に商品が不足なく並んでいる状態にしたい、その為には何時に何をして何処に誰を配置するのかを、アルバイトリーダーだった私に出勤する度に考えさせてくれた。また一日の終わりには、その日出勤したスタッフ全員でその日の売り上げを確認する。事前に共有していた目標に届いていれば、今日の動き方の良かった点を洗い出し、届いていなければ、何が原因かを考える。新入りのスタッフたちともそれを共有していく。夜の時間帯を担うスタッフはほとんどが大学生だったけれど、みんなでああでもないこうでもない、と語り合うのがとにかく楽しかったのだ。

アルバイトリーダーとして、そんな経験をさせてもらっていたので、既に就職活動を終えている先輩方からは、「ここで経験したことを語れば、あややさんは就職活動余裕そうだね」と幾度となく言われていた。私もいつの間にかすっかりそんな気になっていた。しかし、いざ蓋を開けてみたら全く余裕なんかではなかった。2011年卒。就職氷河期、と呼ばれる時代に就職活動をしなければならない運命を憎んだ。初めてリクルートスーツを着て行った合同説明会では、会場の外で4時間待たされた。ジャニーズのグッズ列でもそんなに並んだことないのに、と言いながら、いざ中に入ってみても、どの企業のブースにも長蛇の列で、ただただ体力を奪われただけだった。その後、業界を絞った方が良いとか、絞らない方が良いとか、様々な他者からのアドバイスを受けながら、あらゆる企業へ出向いたけれども、私は何処にも欲されなかった。そして今思えば私自身も、何処かに猛烈に欲されようとなんてしていなかった。任された仕事はきちんと出来る、という自信だけはあって、面接の場で実務試験があれば上手にこなせるという根拠の無い自信はあったけれど、その実務を発揮する前に情熱が無いまま大体落とされた。単純に、自分がこなしてきた経験を、その会社でこんな風に活かせますとプレゼンするのが下手だったのだと思う。今もそんなに上手ではない。そうして、東京で60社程お祈りされて高知に帰ってきた。

高知で最初に就いた仕事は、任期1年の契約だった。任される仕事は主に雑務で、毎日凄く暇だった。あまりに暇なのでExcelで意味のない表を作ったりしていた。Excelの使い方はその時に覚えた。暇な仕事は時間が進むのが遅く、そして虚しく、職場のトイレで私のこれまでの人生とは何だったのだろうと考えて泣いたこともあった。何と意識が高いと揶揄さされるかもしれないが、誰にでも出来る仕事がしたかった訳ではなく、アルバイト時代に感じた「任されること」の高揚感を仕事で味わいたかった。自分の働きで数字が動く、そんな瞬間に沢山立ち会いたかった。

1年の任期を終えて、次に就職したのが今の会社で、ここでもそう長く続けるつもりではなかった。アルバイト時代に後輩を育てることが楽しかったので人材育成に関わる仕事か、もしくは文章を書く仕事に転職しようと思っていた。人材育成の方はこの会社でも出来る可能性はあったが、その部署の人数は極少数で、私が配属された部署からそこに行くのはかなり狭き門だったので、始めから諦めていた。この会社は次にステップアップするための踏み台として働こうと割り切っていた。しかし前職と違っていたのは、暇に感じる時間が全くないことと、何でも数字で管理される世界だったことだった。数字で管理されることに嫌悪感を示す人も多いけれど、私はそれが「自分が働いている証拠」になるので嬉しかった。就職氷河期で何処にも欲されなかった自分が、誰にでも出来る仕事なんてしたくないとトイレで泣いた自分が、ようやく「自分が」働いている証拠を残せる気がして嬉しかった。どうしたらその数字が伸びるか、アルバイト時代ぶりに数字と向き合う日々が戻って来て、ようやく“社会人”になれた気がした。

そうして新入社員として求められることを淡々とこなして3年が過ぎた頃、私は転職を考え始めていた。仕事にも慣れ、就職活動で失っていた自信も取り戻し、社会人として学ぶべき基礎も身に着け、新しい世界へ飛び込む準備が整った。と思っていたところに、転機が訪れた。

人材育成に関わる部署への異動だった。私はこの会社に入ってから一度も「人材育成に関わる仕事がしたい」と漏らしたことはなく、それをやるべきは今の会社ではないと思っていたので、想定外の展開だった。最初に配属された部署から、その部署へ異動となるケースはほとんどなく異例の異動だった。後に何故私だったのかを上司に尋ねたら、理由の一つに生産性が高いということを挙げて頂き、その判断材料はまさしく私が向き合ってきた数字が示してくれていたことだった。頑張っていたら誰かが見てくれていて、ある日突然ラッキーなことが本当に起こるんだな、と呑気なことを思った記憶がある。

そうして私は今、アルバイト時代と同じように「人に教える」仕事をすることが出来ている。この仕事がしたいと思ってこの会社に入社した訳ではなかったけれど、結果的に職場を変えずしてやりたい仕事に就けているので、少し遠回りはしたものの充実感はかなりある。「東京に欲されなかった」ことがずっとコンプレックスとなっていたけれど、今の会社で二度東京出張を経験して、「ようやく東京に欲された」のだと、蹴りをつけることも出来た。当初は踏み台にしようと考えていた会社に、今はよほどのことが無い限り居座り続けようと思っている。まだまだ“社会人”として未熟な面はあるけれど、この転機が無ければ今も尚コンプレックスの塊を育て続けていたかもしれないなと思う。次の転機を迎える為に、またコツコツと働いていきたい。


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