遅ればせながら映画『シン・ゴジラ』を見て来た

すっかり季節は秋になってしまい、気が付けばブログを1ヶ月以上書いていなかった。ブログどころかTwitterも何を書いたらよいのかよく分からなくなり暫く寝かせてある。最近はインターネットから少し離れた生活をしていて(自発的にそうしたのではなく、物理的な時間の問題で自然とそうなってしまった)、そうすると本当に自分がやりたいと思ったことだけに時間をかけるというとってもシンプルな生活になった。「~しなきゃいけない」と思っていたことは全て削ぎ落とされ、その分心に余裕が出来たものの、その分自分がつまらない人間になった気もしている。

www.shin-godzilla.jp

映画『シン・ゴジラ』が面白い、という話はインターネットを介さなくても耳に届いた。久々の婚活パーティーに行った際、同じテーブルにいた5歳くらい上のお姉さんが「6回見に行った」と熱く語ってくれた。「ゴジラが可愛いんです!」「おじさんがいっぱい出てくるんです!」「絶対見に行ってください!」お姉さんは「ネタバレになるからそれ以上のことは言えないけど!」と前置きしながら、私に『シン・ゴジラ』の鑑賞を勧めてくれた。知識と教養の深そうなお姉さんが勧めてくれるならば見なければ、と私は『シン・ゴジラ』の鑑賞を婚活パーティーで決意した。しかしながらそこからなかなかタイミングが合わず、昨日ようやくもう1日1回しかない上映時間に合わせて映画館へ足を運んだのだった。

既に公開から2ヶ月経過しているというのに、映画館はほぼ満席に近く、リピーターと思われるシンゴジラファンたちの熱量の高さを感じる。私は幼い頃に『ゴジラvsモスラ』を見た記憶があるようなないようなその程度しかゴジラシリーズとの接点が無い。本当に楽しめるだろうかという不安と、けれどもこれだけの人が楽しんでいるのだから間違いないという自信とで席に着いた。

感想から言えば、最高だった。この記事を読んでいる人は既に鑑賞済の人か、もしくは鑑賞する気はないけどとりあえず読んでいる人か、くらいだと思うので、今更ネタバレに慎重に配慮しなくても大丈夫だと思うけれど、もしもまだタイミングが合わなくて見に行けてないだけで、とても観るのを楽しみにしている人がいるとすれば、これ以降は自主規制よろしく。

空から異物が降って来た時、人々は否応なしに逃げ惑うというのが、鉄板の描写な気がしているけれど、ゴジラの姿が確認された時、まだこの異物が自分たちにどんな悪影響をもたらすのか未知数であるからに、この異様な光景を記録に残しておこうという好奇心から、ビルの屋上に登ってスマートフォンで撮影を始める人々の描写が絶妙にリアルだった。ゴジラの足の下では次々と破壊されていく街があり、そこには一瞬にして奪われた命があり、残酷なその瞬間に自分のカメラを向ける。この一瞬を捉えておかなければいけない、とその場にいたら自分も異様な使命感を感じてしまうのかもしれないと思うと、何だか複雑な気持ちになる。

そして何と言っても、奇想天外な異物であるゴジラへの対処に追われる官僚たち。これがこの映画『シン・ゴジラ』の面白さの根幹にあると思う。予想外の出来事が起こった時、日本の中心では何が行われるのか。前例がない不測の事態への対応にてんてこ舞いする様子は、大変興味深かった。全員が本気。当たり前だけど本気。「もしもゴジラが日本にやって来たら」とショートコントにありそうなネタを、本気で2時間の超大作にしたのが『シン・ゴジラ』だということがよく分かった。

映画では政府の目線で描かれていたけれど、では実際に自分たちの生活はどうなるか、ということを真剣に考えてしまった。映画の通り、ゴジラ東京湾に出現し首都圏を襲ったとしたら、高知県に住んでいる私は直接的な被害は受けないものの、疎開先として避難者を受け入れたり、また少なからずこの混乱は仕事にも影響があると思える。そしてもしゴジラ高知県の海の入口である土佐湾に出現したとしたら。映画の通り第二形態のゴジラに襲われていたら、あっという間に自分の住んでいる地域は跡形もなくなると思われる。虚構に対して真剣に向き合った映画を見たら、自分の危機管理意識が少し上がった。

こう書くと観ていない人には、ゴジラは人間にとって「悪者」という風に聞こえてしまうかもしれないけれど、私は人間を脅かす「悪者」という認識ではなく、あくまで「異物」という前提でこの映画を見ていた。婚活パーティーでお姉さんが言っていた「ゴジラが可愛いんです!」というのもすごく納得出来た。ゴジラは結果的に東京の街を破壊したものの、基本的な動きとして前進をしていたのみである。人間がそれに対して攻撃を試みたからこそ、別のエネルギーを発っしていたのであり、ゴジラ自身に戦意は感じられなかった。何に導かれ、何を目的として、東京の陸を歩き続けていたのかは分からないが、こちらの混乱に無頓着なゴジラの姿は、なるほど可愛らしいと思える。

そして最終的にゴジラを凍結させるために行われた「ヤシオリ作戦」が感動的だった。無人の新幹線がゴジラに向かって走りぶつかったと思ったら爆発、東京の発展した街並みを象徴する高層ビル群は、ゴジラの身体にのしかかるための有効な武器となり、そして再び復活してしまったゴジラの足を止めるのは、やはり無人で走る在来線爆弾。人を運ぶことが目的の列車が、まさかこんな風に使われることになろうとは、誰も想像していなかっただろう。これが田舎町だったとしたら、ゴジラの足を食い止めるものが何も無かったかもしれないので、東京の街の凄さを改めて実感したのだった。

もっと公開直後にしっかりインターネットを見ていれば『シン・ゴジラ』に関する興味深い感想をリアルタイムで沢山拾えただろうに、とインターネットを見ていなかったことを後悔させられる映画だった。そして久しぶりに何か書きたいと思わされるエンターテイメントだった。映画館に入る時、「シン・ゴジラ 大ヒット御礼・名台詞ステッカー」というのをもらったのだけど、誰がこんなものを使うのだろうと観る前には思っていた。けれども今、ちょっとスマホに貼りたくなってる。