西野七瀬ファースト写真集『普段着』

小学校の頃、すぐ泣く女の子が苦手でした。泣く、という行為によって、瞬く間に被害者と加害者の関係性が出来上がってしまうことに気づいていないところが苦手でした。要因はどうあれど泣いていない方に「泣かせた」という表面的な結果が出来上がってしまう事が苦手でした。泣いている側が、自分にとって有利な方法を選択して賢く「泣く」を選択しているのならば、その計画性には敗北を認めるしかありませんが、大抵の場合は泣いている本人が相手を加害者にしてしまうリスクまで考えずに反射的に泣いている場合が多く、またその周りの人間には「慰める」という器の大きさがあるか一斉に篩にかけられている様で、泣く女の子の周りにはいつも居心地の悪い緊張感がありました。

回りくどいことを言わずに、率直に申し上げますと、私は乃木坂46西野七瀬さんが好きではありませんでした。まだ西野さんが乃木坂のセンターを務めるずっと前、彼女たちの冠番組を見ていたら、誰もが羨む美貌の白石麻衣さんが、西野さんがあまり自分に心を開いてくれていない気がするという旨の話を、彼女なりに明るい口調で話していました。白石さんはこの話を公にする事で、西野さんからそんなことはないという反応を貰えるのではないかと踏んでいたのだと思いますが、みんなから一斉に注目を浴びた西野さんは、そこで傷ついた様な表情で突然泣き始めました。それには白石さんどころか司会のバナナマンの二人も驚いていました。何も言わずに泣き始めた西野さんは、そのまま他のメンバーの胸の中で涙を流し、華やかな白石さんには近づきづらかったのかもしれない等と設楽さんがフォローを入れ始めました。たちまち白石さんが泣かせてしまった様な空気になり、この瞬間に私は西野七瀬さんに対して同性として歩み寄る事が出来ない存在だと認めました。

しかしながらアイドルに対してその様な感情を持つ事は、これまでほとんどなく、そもそも自分とアイドルでは生きている次元が違う為、「同性」という同じ土俵に乗っかって対象を見るという事自体が非常に図々しいことであると思っていました。輝かしき彼女たちを自分の次元まで下ろしてきて尚且つネガティブなイメージを持つ等という事は、ヲタクではない者だけが成し得る軽率な行為だと思って生きていました。アイドルの尊さを知っている者にとっては、禁じられた遊びでした。だから私は今日まで西野七瀬さんが苦手だったことを黙っていました。乃木坂のセンターを認められない自分、を認めたくなかったのかもしれません。

西野七瀬ファースト写真集『普段着』には、とても流行を掴んでいるとは言い難い服を着た西野さんがいました。腕のあたりにひらひらが付いていて、表には数箇所に散らばるキスマーク、赤と白の細いボーダー線が入ったその服は、田舎の高校生がお小遣いを握り締めて「しまむら」で買って来たかの様な独特のダサさがありました。しかし私はこのダサい服を着て電車に乗る西野さんの写真がとても好きで、ダサい服を着ているからこそ浮き上がってくる西野七瀬の素材の良さを見た気がしました。彼女の最たる武器は、私が図々しくも自分と同じ土俵に乗せて彼女を判断してしまった様に、アイドルとしての野心を消しているところにあると思っています。野心が無いのではなく、消しているのです。消しているという事に気づかず、自分の土俵でマウンティングをしてしまった女性はきっと私だけではないと信じています。

乃木坂のシングルの立ち位置が発表される時、センターで呼ばれると西野さんは大抵嫌な顔をして出てきます。センターになりたくても一度もなったことがない人、一度センターを経験して返り咲きたい人、それぞれの気持ちを知っているならば、普通であれば腹を据えた表情で出て来るものだと思いますが、西野さんはまず一旦嫌な顔をして出てきます。「目立つのが苦手だった」という少女こそ、秋元康さんはセンターにしたがりますが、前田敦子さんとはまた別の魔力が西野七瀬さんの中には潜んでいると思います。前田さんがつくりあげたセンターという概念、誰もがセンターを目指すべき場所だとしている中で、西野七瀬さんはその慣習を崩壊するのか強固にするのか、私はやっぱり彼女への興味を完全になくすことは出来ないのだと思います。