年初めに私は「2015年ジャニヲタとしてやりたい10のこと」という記事を書いていた。その中に「⑦宝塚を見に行く」という項目を付けていたら、優しいヅカヲタさんがすぐにこんな記事を書いて下さっていた。
なんと有難い。私が自分の記事を書いてから12時間もしない内に、初心者への入門記事を書いて下さるヅカヲタさんの熱意と優しさに惚れるしかなかった。分野は違えど私も、北にジャニーズのコンサートに行ってみたいという人あらばチケットの申込方法を教え、南にジャニーズにハマリそうだという人あらばDVDをダビングして贈り、東に団扇を作ってみたいという人あらば作り方を伝授し、西にメリーさんとは何者なのか知りたいという人あらば先日販売された週刊文春を音読して差し上げる、そういうヲタに私もなりたいと改めて思った。少し話が逸れたが、上記の記事で紹介された中に「気軽に観るなら」という枕詞付きで、雪組公演「ルパン3世 王妃の首飾りを追え!/ファンシー・ガイ!」が紹介されていた。宝塚と言えば連想するものは「ベルサイユのばら」等であったが、ルパンという国民的泥棒も宝塚の世界に巻き込んじゃうのか、と一気に興味が湧いた。ちょうど月末に関西に足を運ぶ予定があったので、急いでチケットを手配して本日足を運んで来たのである。
そもそも何故年初めに「宝塚を見に行く」という目標を掲げたのかと言えば、まずジャニーズというエンターテイメントを語るにあたって度々比較対象または類似対象として語られる宝塚というエンターテイメントにも死ぬまでに一度は触れておくべきだと感じていたことと、あと実際に宝塚に触れている人たちが皆揃って楽しそうに見えていたからということがある。芸能人で言えば北川景子さん、渡辺麻友さん等がそれにあたる。北川景子さんは観劇された後に書かれるブログが文章としてとても美しく、北川さんにここまで書かせてしまう宝塚とはどのようなものなのか気になってしまう。また渡辺麻友さんはテレビでもお気に入りの宝塚ポーズを度々披露し、AKB48のエースである渡辺さんを魅了している宝塚とは何なのか気になってしまう。そして極めつけに、大学時代に仲の良かった友人2名もまた大学卒業後に宝塚にハマっていたりする。何かにハマリこむタイプではないと思っていた友人までもが、転げ落ちる様にしてハマっている宝塚を、私も一度体感してみたかったのだ。楽しそうなところには、自ら飛び込んでみたくなる。
しかしながら思い立ってから実行に移すまでが短かった為に、宝塚のことを勉強する時間がほとんどなかった。各組のトップスターが誰なのか、そもそも今回見に行く雪組のトップスターすらも知らないままに、大阪行きのバスに乗り込んだ。何も知らない状態で行った自分がどの様に感じるのか試してみたかった、というのもあるが、これではあまりにも知識が乏しいと感じ、先日もぐもぐさんが書かれていたこの記事を参考にして、「元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略 (角川oneテーマ21)」という本を必死で読みながら大阪へ向かった。この本、とても面白かったので私からも改めてお勧め。
ヅカヲタの友人にアテンドして欲しかったが、ヅカヲタの友人は大抵が関東住みであるがゆえにアテンドをお願い出来ず、そこで、宝塚観劇経験は6~10回程度、友人が元タカラジェンヌ、家が宝塚駅の近くだというジャニヲタの友人にお願いして、若葉マークの私を宝塚大劇場まで連れて行ってもらった。初めて訪れる宝塚大劇場は思っていたよりも数倍広く、ファンであったら一日中そこでうっとり出来そうだなと思った。
そんな形で迎えた私の宝塚バージン。まず意外だったのが、ルパンがあまりにも私の知っているルパンだったことだ。題材がルパンとは言え、宝塚で演じられるルパンは、あくまで宝塚風ルパンに違いないと観劇前に考えていた。ルパンだけど何処かルパンじゃない、宝塚オリジナルのルパンが形づくられる気満々で行ったら、思った以上にアニメの方に寄せていた。そう感じさせる一番の要因は「喋り方」にあり、有名な「ふぅじこちゃ~~~ん」というルパンの台詞はそっくりそのまま、まるで物真似のようだった。プログラムを読んだら、演じる早霧さんがそれを意識的に行っているようだった。そこで一旦若葉マークの自分にとってのハードルが下がり、「私この公演に入り込める」という自信がついた。実際に「ルパン3世王妃の首飾りを追え!」の方は、飽きることなく最後まで楽しめ、あっという間に幕間となった。前半の上演時間は短すぎず長すぎず、幕間にロビーでほとんどのお客さんが軽食をとっている光景を見て、これもまた他の劇場ではなかなか見ない光景だなと思いながら楽しんだ。
次はショータイム「ファンシーガイ!」だった。先ほどは個性的な役柄をそれぞれが演じていたけれど、今度はそこからもう少し解放されて一人一人の綺麗なお顔が確認しやすくなる。先ほどまでは役の衣装を着ていた者たちが、揃って同じ布を纏っているのを見た時に、改めて女性が男性を演じているという不思議世界に遭遇する。男役の方のメイクは世の男性の特徴を捉えたものともまた違っていると感じるのに、何故それらしい雰囲気を出せているのか。本来の性とは別の性を演じることへの抵抗はないのか。また異性を演じる自分に対して同性のファンが付く現象についてどう感じているのか。100年に渡って繰り返されてきたであろう風習に、初めての私は色んな疑問が湧いてしまい素直に男役スターに対して「かっこいい」とときめく前につまづいてしまった。そこだけが圧倒的にジャニーズの世界と違っているところだった。ジャニーズの世界と違う、というよりかは宝塚唯一の世界観と言った方が正しい。例えばAKB48では昔、秋元さやかさんと宮澤佐江さんが男役でミュージカルを行ったことがある。私はその時の宮澤さんの男装にとても興奮したことがあるし、また乃木坂46の生駒里奈さんがミュージックビデオで男装をした時にも酷くときめいた。しかしながらそれらは彼女たちが元々女性アイドルとして売り出されている前提の中で行われた一時的な創作に過ぎず、その一時的であることに安心してときめいていたところがある。けれども「男役」という枠におさまったからには、今後もその枠で役を全うしていくであろう宝塚の「男役」の方はどんな胸中でそれを演じられているのか、それが何より気になってしまった。「好き」という構造がとても難しい。単純な異性に対する「好き」でも、同性に対する「好き」でもなく、異性に扮した同性が「好き」、それを理解しようして頭の中でちょっとした混乱が起きた。
そんな混乱に巻き込まれながらも、思考よりも感覚の方が正直なもので、ステージの上で踊る一人のスターに目が釘付けになった。トップスター早霧さんのサイドに登場する、望海風斗さん。背が高くすらりとした長身で、歌がとても上手かったことから気になり始めたのだが、何より宝塚の濃いメイクに負けじと顔のパーツのすべてが美しかった。最初こそみんな同じ顔に見えていたが、それ以降は望海さんという基準が出来たので、他の方の顔の特徴も何となく掴める様になってきた。そしてだんだんとこれは同性とか異性とかそういった問題でなく、自分の美的感覚をどれだけ揺さぶられるか、なんだと思った。対象に向かう矢印の種類の話ではなくて、振動率の話なんだなと思った。我々ジャニヲタが山Pを美しいと感じることはけして相手が異性だからといって「恋」ではない(「恋」の場合も勿論ある)。山下智久という美しさに心が震えているのである。それと同じ構造で私は今日、望海風斗さんの美しさに震えたのだった。全ての振動はけして「恋」である必要はなかったのだ。そうして自分が心を振るわされた経験から、自分もその対象になろうとする女性が毎年一定数生まれ、そうして宝塚が100年も続いているとすれば、その歴史自体がまた奇跡にように美しいなと思った。
終演後、望海風斗さんがかっこよかったよ、と大学時代の友人に連絡したら、彼女が一番好きな花組のトップスター明日海りおさんが今日私が観劇した回と同じ回を観劇していたらしく、彼女にとても羨ましがられた。私も一緒にいた友人も明るくない為、あそこにいるのタカラジェンヌの方だね、なんて呑気に席に着く様子を見ていたのが、まさかの花組トップの方だったとは。せめて各組のトップの方くらい勉強していくべきだったと猛省している。友人が「SHOCKを見に行ったら岡田くんが観劇しに来たって感じかな?」とジャニーズに例えようとしていたので、兼ヲタのどなたかがこれをジャニーズに例えるとどういう例えが一番ベストなのか教えて欲しい。よろしく。こうして私の宝塚バージンは無事終えた。次回はもう少し事前勉強を重ねてから挑みたいと思っている。