深い森の中。太陽の光も月の光も入り込まない、生い茂る緑は蒼く不気味に染まっているように見える。汚れた服を着てやや濡れた髪の少女たちの顔に笑顔はない。先頭を歩く青年の手には、紅く炎が灯された木。それが彼らにとって唯一の光だろうか。何故彼らがこの森で彷徨っているのか、哀しみも怒りも全てを諦めた無の表情からは何も読み取れない。やがて彼らは森の先にある湖に辿り着く。夜空の中央には白く輝く月があった。全員で足を止める。これが彼らの探していたものだったのだろうか。
KAT-TUNの最新アルバム表題曲「楔-kusabi-」のミュージックビデオの光景である。映画のようなスケール感で描かれた今作は、KAT-TUN本人たちも同じ蒼い森の中で歌っている。しかし森の中を彷徨い歩く人々とはけして交わることはない。同じ場所で起こるパラレルワールドのようにも捉えられる。KAT-TUNも人々と同じように森の中を彷徨い歩き、最終的に湖に辿り着く。しかし人々と異なる点は自分たちで光を作り出す能力を持っていたことだ。
くさび【楔】
1.木や金属で、一端が厚く他端に至るにしたがって薄くなるように作ったもの。木材・石材を割るとき、重い物を押し上げるとき、差し込んだ材が抜け落ちるのを防ぐときなどに用いる。責め木。
2.車軸の端の穴に差し込んで車輪の外れるのを防ぐ小さな棒。
3.二つのものを固くつなぎ合わせるもの。きずな。
前作のアルバムタイトルは「CHAIN」、今作は「楔-kusabi-」。どちらも「繋がり」を意味する単語が選ばれている。KAT-TUNと言えばファンの呼称を「ハイフン」とし、ファンを自分たちの頭文字の並びの中心に位置づけている。これも「繋がり」を重視していることのひとつだと思われる。
今作のリリース1ヶ月前にメンバーが1人脱退し、KAT-TUNは4人体制となった。メンバーの脱退を経験し4人体制になったグループと言えば、同じジャニーズ事務所内にNEWSがいる。彼らはより良い作品を作る為に、グループとしての音楽活動を再開するまで半年以上の時間を空けていた。一方でKAT-TUNはライブを途切れさせたくない等の思いから、ブランク期間を要とせず、これまでの延長線を辿るように自分たちの音楽を更新した。
彼らがすぐに舵を切れたのは「KAT-TUN」というコンセプトが明確に定まっているからではないかと感じる。人々に夢を与えるアイドルでありながら、彼らの楽曲は笑顔を封印していることが多い。ふっと笑みを零すこともあるが、それは「不敵な笑み」と形容するに相応しい挑発的で大胆な微笑みであったりする。陽ではなく陰を、動ではなく静を、白ではなく黒を、敢えて説明しなくても「KAT-TUNっぽい」で通じてしまうパブリックイメージがある。
その「KAT-TUNっぽさ」に身を包んだ彼らを私は演技者だと感じる。素顔の延長にアイドルの姿がある訳ではなく、特別なスイッチを体内に装備させ、KAT-TUNの世界観を創りだす為にKAT-TUNになりきる。以前、脱退した元メンバーがテレビ出演した際に、カウントダウンコンサートで他グループの楽曲で一緒に盛り上がりたい気持ちはあるけれど、自分はKAT-TUNだからクールに決めていたというエピソードを披露していた。欲望を打ち消してまでイメージを守り抜く、それがメンバーの共通認識にある。
そんなKAT-TUNが今回の「楔-kusabi-」の中でこう歌っている。
愛すること 愛されること 演じてないで きっと描く未来 止められない
叫べ 明日も見えぬ夢 追いかけて行こう
アイドル演技者だと感じたKAT-TUNの口から「演じてないで」と歌われる。今回も「KAT-TUN」のパブリックイメージから遠く離れることのない楽曲であるが、彼ら自身は付けた仮面の下でこの歌詞の通り、焦燥感を感じながらとにかく前へ進んでいるのかもしれない。物語は楽曲の想像力を掻き立て、また楽曲は物語を補完していく。このタイミングで放たれたからこそ辛味も苦味もある味わい深い「楔-kusabi-」が出来上がったように感じる。
自ら光を作り出した4人の青年は、別世界を生きる人々を救い出すことが出来たのか。森の先にあった湖は彼らの光を反射して神秘的に輝いていた。無表情だった少女の瞳にも希望が宿ったと信じたい。