第1回読書会「ビューティーキャンプ」

「最近本が読めなくなって来てる」金曜日の夜に美味しい鰹の塩たたきが食べたいと言う私に付き合ってくれた読書家の同期は、そう言いながらもそれなりに幸せそうだった。「私も私も」とそこに乗っかったが、この話題に来るまでにも、私たちは何度も同じ現状を共有していた。「最近仕事が終わった後すっかり疲れて早くに眠りに就いてしまう」「ストレス量が減ったからか趣味に使う時間が急激に減ってしまった」「その分の浮いた時間は人と会う時間に変わっている」「そして、本を読む気力がなくなってしまった」である。本屋に行って本を買う時の胸のときめきは変わらないが、買ってきた本を開いて数ページ読み進めたところで飽きてしまい、床に積ん読状態となってしまった本が数冊ある。その場で二人してスマホを取り出し、「本 読めなくなる」で検索をかけたが、鬱病の症状としてのページが沢山出てきてしまい、いや、私たちの「本が読めない」はけしてそういうものではなく、単純な気力の問題だと思うという結論に至った。

同期が「じゃあ、私この3連休で1冊読み切るを目標にする!」と高らかに宣言したので、私もそれに乗っかることにした。幸い3連休は特にまとまった予定も入っていない。けれどもどうせなら楽しい読書にしたい。どうだろう、同じ本を読んで感想を共有し合うのは。そう提案すると同期もそれに賛同してくれた。じゃあ何を読もう。私たちは広いお店の中でこの日一番目を輝かせていた客だと思う。どうだろう、今から選びに行くというのは。時計はまだ21時半。ここから数キロ離れたTSUTAYAであれば、車で10分程で着く。私たちの読書会の最初の1冊。それを選びに行く為に、私たちは鰹の塩たたきのことなどすっかり忘れて、わくわくしながら車に乗り込んだ。

そんな経緯で始まった私と同期の第1回読書会。選んだ作品は林真理子著「ビューティーキャンプ」。本の表紙には沢山の美女たちが並ぶ。そして帯には「苛酷で熾烈。嫉妬に悶え、男に騙され、女に裏切られ。ここは、美を磨くだけじゃない、人生を変える場所よ。私は世界一の美女になる……小説・ミスユニバース」と書かれている。これだけでゾクゾクしてしまう。この本の中には、女と女の摩擦が所狭しと詰まっているのではないかと、わくわくしながら手に取った。
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結果3日で読めば良かった本を1日で全部読み切ってしまった。「本が読めなくなっている」だなんて、やっぱり気持ちの問題でしかなかったのだ。この本に対して私のわくわくセンサーが発動するのは、やはり女同士の嫉妬の部分だろうと心構えをしていたのに、実際にセンサーが発動したのは、「美人にまつわる物語」の部分だった。以下はネタバレを含むため、これから真っ新な気持ちで読もうと思っている方は、お引き返し願う。

物語はミス・ユニバース日本事務局に転職した並河由希の視点を中心として描かれる。そこには日本からミス・ユニバースを生み出そうと、美女たちに美しさとは何かを教え込む美のカリスマ・エルザがいる。彼女の元に選りすぐりの美女12名が集結し、ミス・ユニバースジャパンを決める大会までの運命の2週間「ビューティーキャンプ」が始まる。この2週間の間に様々な事件が起こり、彼女たちの運命はその時々によって多様に変化していく。その中で私が印象深かった点を挙げてみる。

日本の美しい女性の謙遜文化

ミス・ユニバースNY本部から送り込まれた美の伝道師・エルザが、モデル出身の美女・カレンにこんな言葉をかける場面があった。

カレン、あなたはもっと賢いと思ってたけど、ケンソンとやらが大好きなジャパニーズ・ガールの一人だったのね。あなたね、モデルとして成功するのと、ミス・ユニバースになることとはまるで違うことなの。いい、モデルは服をひきたてるのがお仕事なの。ミス・ユニバースは、自分を自分自身でひきたててやるのが使命なのよ。あなたは今までまるで正反対のことをしていたのよ、わかる?(24ページ)

エルザは街で見かけた美しい女性に自分からスカウトしてミス・ユニバースジャパン候補とする時がある。そんな時にもこちらから声をかけると、大抵の女の子が「私なんかとんでもない」という反応をすると漏らしていた。「私の魅力に気付いてくれて嬉しいわって言う女の子に一人も会ったことがない」と嘆いていたが、そこには由希が「それは日本の女の子が身につけた知恵ですよ。日本では、可愛い女の子は子供の頃からいろいろ気を遣うんですよ。他の女の子から嫌われないように、目立たないようにってね。だから、褒められると、すぐに否定する習慣がついてしまうんです」と答えている。
確かに美しい女の子ほど、自分の容姿を褒められることに敏感で、こちらがどれだけ褒めても絶対に自分の美しさを認めてくれないところがある。それによって「あんなに綺麗なのに自覚がない」などと、評価を上げる場合だってある。逆に「私が一番可愛いでしょ」と言えるのは、その場にいる二番手・三番手の特権のようなもので、本当に一番可愛い人が言ってはいけないというような暗黙のルールがある気がする。一番可愛い人が「私が一番可愛いでしょ」と言うことは真実に相違ないはずなのに、自らの申告は同性から嫌われてしまう。だけど美しい女の子は、美しいことを武器にして生きて欲しいと個人的には思っている。

美人のデメリット

カレンはこんな場面もあった。

私の話、どうかヘンな風にとらないで。あのね。モデルっていうのは、モデル以外に友だちをつくらないのよ。街で見ててもわかると思うけど、モデルってたいてい一緒でしょ。群れてるでしょ。どうしてかっていうとね、ふつうの女の子たちと付き合うのはめんどうくさいのよ。モデルになるくらいのレベルだと、みんな結構つらいめにあってる。よくね、金持ちな実業家につかまってたり、Jリーガーやタレントと付き合うのがモデルって思われているけれども、ああいうコたちは本当に一部。屈託のないコたちよ、美人であることのメリットを十分にわかっているコたち。明るいの。でも私はそうじゃない。
~中略~
美人に生まれたからって、何もいいことなかった。嫌なことの方が多かったって言ったら、女の人たちに石投げられるわよね。ふざけんなって。だけどこれは本当のことなの。でも誰も信じてくれない。由希さんにも信じてくれなんて言わない。エルザは私に言ったのよ。
「あなたが日本代表になりなさい。そして世界一になったら、あなたが美しく生まれた意味がきっとわかるわ。だから全力を尽くしなさい」
って。私はそれを知りたいの。そうでなければ、少女の頃に無視されたり、いじめられた意味がわからない。それから私はこの先、どう生きていっていいのかわからない。だから私はどんなことをしても日本代表になって世界大会に出場したいの。(75~78ページ)

カレン以外に麗奈も、背が高すぎることから「大女」「キリン」とみんなにからかわれていたということをスピーチで吐露していた。このシーンはとても印象的で、「私の話、どうかヘンな風にとらないで」というカレンの言葉から始まるのがとてもリアル。「美人」という大前提があるからこそ、言葉が誤解を生んで届いてしまうリスクを考えて、気を遣って生きてきた美人の苦悩を表現している。他の人が話すと同情を誘える話でも、美人が喋ると途端に「美人に生まれたんだからそれぐらい我慢しなさいよ」と思われてしまう。実際に芸能人が公にこんな話をしてしまうと、誰かしらが石を投げるであろうこの時代なので、小説の中でカレンが実在する誰かの代弁者になったような気がした。

「えこひいき」「番狂わせ」の面白さ

カレンの話が続いたことからもお察しのとおり、エルザは美女12名を集めてビューティーキャンプを行っておきながら、彼女の中ではほぼほぼ優勝候補が確定している。それがカレンだった。分かりやすくカレンをえこひいきしている。それは日本女性をミス・ユニバースのトップにしたいという彼女の野望からであり、そのためには世界から好かれる美しさを備えているカレンが最も相応しかったのだ。彼女はカレンに一番似合うドレスを着せ、カレンに一番腕のあるメイクさんを付けて本番に挑む。この時点で周りはみなエルザのえこひいきに気付いている。
けれどもミス・ユニバースジャパンを決める大会の審査員はエルザではない。エルザの希望が必ずしも反映されるとは限らない。世界に通用する美女をミス・ユニバースにしたいとエルザが彼らに伝えていたとしても、実際には審査員の好みで選ばれる可能性を危惧していた。そのために日本の審査員に好まれそうな美優を、苦手なダンス審査の場で敢えて目立たせることで、優勝候補外であることをアピールしようとしたり、カレンだけを目立たせるためにその他の強い候補者をダンスフォーメーションの後方に置いたりした。
しかしエルザのそんな努力も虚しく、カレンは一次選考で落ちたのである。この小説の中でもほとんど名前が挙がってこなかった早良がダークホースとして二次選考に進む。本来カレンが入るべきだった枠。
アイドルみたいで面白い、と思った。アイドルも運営が用意したセンター、この子がグループの顔ですよ、この子が一番人気者になってグループを引っ張っていって欲しい、という作り手側のメッセージを無視して、他の子の人気が高くなってしまうことがたまにある。この番狂わせまで描かれているところがこの小説の面白いところだと思った。予定調和で終わらない、ドラマが生まれるところにリアリティがある。
また、日本人は完成されたものよりも未完成なものに傾倒しがちな性質も同時に描かれているのではないかと思った。エルザに鍛えられたカレンは恐らくパーフェクトな美しさを放っていたと思う。しかしながら、この大会で選ばれたのは、最年少の桃花。彼女はビューティーキャンプの間中、減量していないことを何度もエルザから注意され、また「モモカは知性のきらめきがない」とまで言われていた。しかし彼女がその会場で好かれた理由は、ユーモアに富んだトーク力だった。美しさで言えばまだまだ完成されていないであろう彼女が、結果的にミス・ユニバースジャパンに選ばれたのは、審査をする日本人が未完成なものを好む性質を持っていることを表していたのではないかと思う。

「美しさとは何か」に徹底的に向き合った小説だったので、読み終わった後思わず私も運動しに出かけたほどだった。美人ばかりが登場し、美人が美を極めていく小説ともなれば、凡人の私は「世界が違う」と割り切ることができるのだが、この小説の中に唯一美意識の低い女性が一人登場するのである。「ビューティーキャンプ」をニュース番組に取り上げるためにテレビ局からやってきたADのユリである。体型を隠すために、だぼっとした白いチュニックを着て、その下にはデニムを履いている彼女を呼びつけてエルザはこう言う。

「あなたが初めてここに来た時から、私は思ってたの。なんて目障りな人だろうって。誰もあなたに話しかけないし、友達になろうと思わない。あなたは背景のように、いつもカメラの後ろに立っている。目立たないかというとそうでもない。とても目立つわ。目について仕方ない。それはね、あなたがとても醜いから。ユリ。よく聞きなさい。私はこういう仕事をしているから、あなたみたいな女が大嫌いなの。何の努力もしない。劣等感でこりかたまっているくせに、自分とは全く不似合いの世界に行きたがる。私はね、この五日間、見るたびに腹を立てたわ。こんな女、追い出してやろうと思ったの」

「可愛い目をしてるわ。あと20キロ痩せたら、信じられないくらい大きくぱっちりするはずよ。それから歯は直しなさい。私の知り合いのドクターのところへ行けば、ただみたいな値段でやってくれます。いい、ユリ。私の視界に入って、私のところへやってきたからには、今のままでは許さないわ。あなたも私のところへやってきなさい。ひと月に2回だけ、私のオフィスにやってくるの。私があなたの人生を変えてあげます。絶対に。私はプロ中のプロなのよ。世界一の美女をつくり出すためにここに来たの。いい、ユリ。私に2年間任せなさい。今は本番前でそれどころじゃないけど、来月からはあなただけの、ビューティーキャンプのプログラムを組んであげます。ミス・ユニバースはさすがに無理よ。だけどね、どこか地方のミスコンテストだったら、必ずあなたをファイナリストにしてあげる。あなたに美しい女の人生がどんなものか教えてあげたいのよ、ユリ。あなたはここにいる間中、美しい女たちのことを憎いと思ったはずよ。その気持ちをバネにしなさい。美しい女がどんな気分になるか自分で味わうのよ。私なら出来るわ。私だけがそれを出来るの」(135~138ページ、会話部分のみ抽出)

エルザのカリスマ性を表すために中盤で盛り込まれたエピソードだった。このエピソードが入ってきたことで、「私は美人じゃないから住む世界が違う」と割り切って読んでいた読者も途端にこの物語の世界へ無理矢理引きずり込まれる。美を追究することは何も美人に限定されたものではない。誰でも美しい女になれるというエルザの言葉がやたら胸に来た。小説が突然、自己啓発本に変わった瞬間だった。

当初想像していたものとは全く別の面白さがあった。TSUTAYAで10分程で選んだ割には、とても好きなタイプの小説に出会えた。鰹の塩たたきが食べたいという食事会がまさかこんな形で発展していくとは思いもしなかったので、鰹の塩たたきにも感謝である。さて、同期がこれを読んでどんな感想をしたためるのか、自分とはまた視点が違ってそうなので、とても楽しみに待っている。