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映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」

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私が乃木坂46を知り始めたのは3rdシングルの「走れ!Bicycle」くらいからだった。今はセンターがシングル毎に変動するのが乃木坂46の基本体制となっているが、その当時は生駒里奈さんが固定センターを務めている時期だった。その頃から私は生駒さんが乃木坂46の絶対的主人公だと思っていた。他のアイドルよりもスカートの丈が長く、アイドルに必要な“清純”という要素を極めた乃木坂46は、学校に例えるとするならば「私立のお嬢様学校」というイメージがほとんどの人の頭の中にあると思う。ビジュアルのレベルが高い事からも、全体的に高級感が漂っていた。私はそんな私立のお嬢様学校にやむを得ない事情で田舎の公立学校から転校する事になった、という設定で生駒里奈さんの事を見るのが好きだった。生駒さんだけが他の彼女たちとは違うオーラを放っている気がしていた。だから生駒さんがセンターから外れようとも、「主人公の交代」ではなく、あくまで生駒さんが主人公の物語が新しい展開に入った、そういう目で乃木坂46の事を眺めていた。今回のドキュメンタリー映画は、私のその視点を改めて強くするものだったように思う。

アイドルへの憧れを語らないアイドルたち

映画はまず彼女たちが乃木坂46の1期生になるまでの経緯を追っていく。その過程の中で私は若干の違和感を感じていた。「乃木坂46」とは、「AKB48の公式ライバル」という名目で作られたアイドルグループだったが、彼女たちの動機を語る言葉の中に「AKB48」という名前どころか「アイドル」という単語もほとんど出てこなかった。それはもしかしたらこの映画を作る過程で意図的に省かれたものなのか、そもそも乃木坂46のオーディションの時点でAKB48の様なアイドルになりたいと主張する子を敢えて排除してきたのか、はたまた今回インタビューされたメインメンバーの中にたまたまそういう子が居なかったのか、私はそこまで乃木坂46の個々を深くまで知らないので、そこに何となく引っ掛かった。何故アイドルになろうと思ったのか。私の個人的なイメージとしては、アイドルになる子は昔から歌って踊るのが好きで、憧れのアイドルが居て、クラスや学校でもファンクラブが出来るような人気者、スクールカーストで言えば確実に上位層のイメージだった。しかしながら、生駒里奈さんの口からは「スクールカーストの底辺だった」という言葉が零れ、白石麻衣さんの口からは「中学の時に引きこもりになった」というエピソードが語られた。他にも「過去の自分が嫌いで自分を変えたくてオーディションを受けた」という話もあった。AKB48の選抜総選挙で指原莉乃さんが、明るい笑顔で「こんな私でも1位になれるんです!」とテレビに向かって叫んだ事には夢があったが、それとは別のベクトルで明かされた乃木坂46のエピソードには胸がぎゅっと潰された。いつの間に、アイドルは過去に負の感情を抱えた女の子たちの集合場所になっていたのだろうと思った。何故彼女たちは自分を変える為に「アイドル」を選択したのだろう。自分を変える方法なんて他にもいっぱいあったはずだけど、闇から脱出する為に「アイドル」という茨の道を選択した彼女たちは、それだけでもう強いと思った。

プリンシパルにおける生駒里奈さんと松村沙友理さんの口論

この映画において注目ポイントを3つ挙げろと言われたら、恐らくこのシーンを挙げる人が多いのではないかと思う。乃木坂46はAKB48の様な選抜総選挙をやらない代わりに、「16人のプリンシパル」という舞台を行っていた。一幕は全員出演し各々の自己アピールを行い、幕間に観客がその日見たいと思ったメンバーに投票し、二幕は観客に選ばれたメンバーしか出演する事が出来ない。しかも順位も付けられるという選抜総選挙とはまた少し違うシビアな戦いを連日行っていた。シングルでは常にセンターに置かれている生駒さんは「センターなのに高順位になれない」という劣等感を抱え、また松村さんは「シングルでは選抜メンバーなのに舞台では選抜落ちする」という劣等感を抱えていた。どうすればいいか分からなくなった松村さんはほとんど壊れかけた状態で涙の一滴も流さず早口で自分の不甲斐なさを嘆き始める。乃木坂46に入る前は志望校に合格する為に浪人しそして実際に大学にも受かっていたけれど乃木坂46になる事を選んだ松村さんは、その話も持ち出して、何にも出来ていない自分をとことん卑下する。それを聞いた生駒さんは、自分も同じ状態だから気持ちは分かるけど頑張るしかないから、何でそんな悲しい事を言うのかと涙を流しながら必死で訴える。他のメンバーは近くに居ながらもその二人に対して何も言う事が出来ないで見ている。この初年度の公演の記者発表の会見中に、記者から話を振られた生駒さんが突然舞台の袖へ走り去ってしまったというニュースが当時話題になった。その当時は記事になった表の話しか知らない人間にとっては、何か収まりきらない事情があったにせよ、会見中に姿を消すのは非常識ではないかと思う気持ちも少なからずあったが、やはりこの期間彼女たちは神経をすり減らしながら戦っている事を実感させられるシーンだった。途中で見るのが辛くなったが、彼女たち自身が辛い思いをしているのに、私たちはそれに対して真正面から向き合う器量が無いなんて狡いなと毎回このAKBグループのドキュメンタリー映画を見ていると心臓が痛くなる。

西野七瀬さんのお母さんの嫌いになれなさ

この映画は各メンバーの母親の視点で話が進んでいく。母親の言葉は実際の彼女たちのお母さんから発された言葉で構成されているらしいが、それらは全て西田尚美さんの声で語られていく為、どのお母さんも似た様な温度で娘を見守っているような気がする。実際にはそれぞれのお母さんに微妙な娘への愛情の違いが存在するのだが、西野七瀬さんのお母さんには特別言及しておきたい場面がいくつかあった。私は以前より西野七瀬さんに対して素直に好きだと言えない部分があった。それについては、西野七瀬ファースト写真集『普段着』で書いた。彼女の中には、同性として許しがたい決まりの悪さと、アイドルとして頼もしい責任感とが共存していて、私はしばしその間でどちらとも取れないまま浮遊していた。しかし彼女のお母さんの語りを聞いた時に、一発でそれが解消された。私が「同性として許しがたい決まりの悪さ」があると思っていた西野七瀬さんは、お母さんの語りの中に潔い程に凝縮されていたのである。大人しい西野さんの性格を変えたいと思って彼女の了承をしっかり得る間もなく乃木坂46のオーディションへ応募したのは、お母さん本人であるにも関わらず、西野さんのお母さんは映画の最後で何の躊躇いもなく「私の夢は、またみんなで一緒に暮らすこと」だと言うのである。また一人暮らしを始めた西野さんの部屋を訪れたお母さんは洗濯物を干す西野さんを見て「正直娘は自分が居ないと何も出来ないと思っていたのでショックだった」というのである。娘の性格を変えたくて自らオーディションへ娘を送り出したのに、変わっていく娘を見て喜んでいない西野さんのお母さんは、どこまでも正直に「娘を愛する母」だった。変わって欲しかったけれど、変わって欲しくなかった。そんな矛盾に自分自身でも気づいているのかいないのかは分からないが、映画に乗るコメントだからと建前で語らない西野さんのお母さんと西野さんの関係が私は羨ましかった。この羨望が私の西野さんに対する嫉妬の根源であり、大切に育てられてきた西野さんの事が私は個人的な感情でずっと羨ましかったのだと思う。そして恐らくここまで語る事は出来なかったけれど、きっとどのメンバーの母親も西野さんのお母さんと同じくらい娘を愛しているのだろうと思った。自分がお腹を痛めて産んだ子供が、順位を付けられる賞レースに参加させられているのだと思ったら、本人たちとはまた違った忍耐強さがアイドルの母親には必要なのだろうなと思った。

メンバーの熱愛報道を見て相手の男性に対する怒りを表に出すアイドル

私がこの映画における名シーンを3つ挙げるとすれば、先ほどの生駒さんと松村さんの口論の次に、橋本奈々未さんのとある発言を挙げたくなる。乃木坂46にも過去スキャンダル報道があった。スキャンダルが出た時のこれまでのアイドル側の対応は決まって、「謝罪」等で責任の所在を自分たちアイドル側に置く、もしくは「スルー」で責任の所在は明らかにしない・触れない、のどちらかであった。「恋愛禁止」を謳っていたAKBグループは当初は前者の対応が基本であったが、最近は後者の対応で事を大きくしない方針も見かけるようになっている。どちらにせよ、いつも責任を問われるのは「恋愛禁止」という暗黙のルールを破ったアイドル側であり、そこには厳しく処分がくだされる事もこれまではあった。本人は勿論のこと、他のメンバーも責任の所在はいつも自分たち側にあるとして、対応してきた。しかし橋本さんは、松村さんのスキャンダルに対してのコメントの中で、「相手の男性に対して腹を立てている」ことを顕にしていた。何処かのタイミングで相手の男性は松村さんである事に気付いたはずであり、気付いた上での行動だったとしたら許せないという様な内容を躊躇う事なく発した。勿論松村さんにも責任があるとした上で、相手側にも責任の所在を問うたアイドルを初めて見たと思った。他のメンバーは松村さんに対して「怒った」というコメントが溢れる中で、冷静に事の本質を見極めようとする橋本さんはかっこよかった。橋本さんは乃木坂46に入ろうとした動機も特殊であり、また夢を語った場合も「家族に家を買って、弟の入学金を揃える」という他の子からは到底出てこない夢が飛び出して来るので、もしかしたら一番冷静に、乃木坂46を、アイドルの世界を、現実を、見ている人なのかもしれないと思った。


アイドルのドキュメンタリー映画が公開される度に、「見たい」のか「見なきゃいけない」のか「見たくない」のか、よく分からなくなる。私たちはアイドルの裏側を本当に知るべきだったのか。彼女たちは丸裸にされるべきだったのか。世の中には知らなくても良い事が沢山あり、その一つがアイドルのドキュメンタリー映画なんじゃないかと思ったりもする。息苦しくなりながらスクリーンを見つめて、鞄の中からハンカチを探す間もなく、ポロポロと目の前に映し出される事実に涙が流れる。せめて私が泣いた分は彼女たちが泣かないで済むように、世界の涙の総量は決まっているって彼女たちが歌っているように、彼女たちの為に涙を流しているのだと思いたい。