読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私たちにアイドルの恋愛を許せる日は来るのか、朝井リョウ「武道館」を読んだ

昨年夏、情熱大陸に朝井リョウさんが出演した時、その映像の中で乃木坂46を前にして朝井さんはアイドルを題材にした小説を書いていると語っていた。「桐島、部活やめるってよ」「何者」などで鋭い視点で現代の若者のリアルな姿を描き、ジリジリと読者の心に詰め寄りそして最終的に背後から止めを刺す、そんな見たくないものを無理矢理見せられる様な心地悪さが逆に癖になってしまうような作品が目立つ一方で、私は朝井さんの作品の中では「もういちど生まれる」や「少女は卒業しない」等の、温かくて優しい青春小説も好きだった。朝井さんがアイドルについて描く時、前者になるのか、後者になるのか。後者の雰囲気で丁寧に描かれるアイドルを読んでみたいという願いも僅かにありながらも、朝井さんの得意とするリアルさでアイドルを取り巻く現状が描かれることを強く望んでいた。

武道館

武道館

主人公は、結成当時から武道館公演を目指して活動するアイドルグループ「NEXT YOU」の一人。歌うことや踊ることが幼い頃から好きだった女の子。彼女たちが一歩一歩、武道館へ向けて成長していく中で、「恋愛禁止、スルースキル、炎上、特典商法、握手会、卒業……」等のキーワードからすぐにでも連想出来る事件が次々と起きる。中には実存するアイドルに起こった事件の内容もフィクションとして登場する為、その度に当時抱えた苦々しい気持ちが再浮上し治りかけていた傷を抉られる。他にも成長期ゆえに太ってしまったアイドルを取り上げて叩く掲示板、解析班の揚げ足取りによって炎上するブログ、どれもこれも普段アイドルを応援している私たちにとってあまりに身近でリアルなものばかりで、「小説」として読むには距離が足りない、凄まじい現実味を帯びた物語だった。

私はアイドルが世間から嫌な注目の浴び方をしてしまった時、また心無い人たちが心無い言葉を吐いているのを見た時、どうしようもなく苦しくなる。何を言っても結局私の言葉には、「普段からアイドルに寄り添っている人間の言葉」としての効力しかないという事が分かっているからこそ、自分から発すべき言葉が見つからなくなってしまう。アイドルを傷つける人たちを一斉に黙らせる事が出来る魔法の言葉が欲しい。その魔法の言葉を自分で産みだすことが出来ない悔しさに苦しくなる。胸がぎゅうぎゅうと音を立てて圧縮されていく感覚、あの感覚が「武道館」の読後にも私の身体に迫ってきた。

主人公の日高愛子は、幼い頃から仲の良い男の子がいた。同じマンションの2階と3階に住んでいて、家族ぐるみで仲が良い幼なじみ。二人は互いに好きであるという確認を行わずとも、気持ちは通じ合っていた。「恋愛禁止」であるということは頭の中にありつつも、その幼なじみと一線を越えてしまう瞬間、その時の愛子の葛藤する心情を描いた場面がひどく美しかった。

 だって、私は今から、大地を選ぶ。
 ダメだってことくらい、わかっている。応援してくれるファンがいる、武道館を一緒に目指す仲間がいる、支えてくれている事務所の人たちがいる。アイドルが恋をしてはいけないなんてことは、もう十分知っているし、誰かの手によって、十分すぎるくらいに、分からされてきた。
 唇が、唇に触れる。大地とは、十年以上も一緒にいた。保育園からの帰り道に手をつないだことだってあるし、ケンカをしてその頭を殴ってみたこともある。市民プールに行けば水着越しのおしりをバチバチ叩いたりもした。だけど、唇と唇だけは、これまで絶対に触れ合わなかったんだなと、どこか冷静に愛子は思った。
(中略)
 自分自身の手で、体で、ほんとうのことを知りたい。アイドルが恋をしてはいけないということは、私が生まれるずっと前に、知らない誰かが決めたことだ。生涯ひとりの人を愛し続けなければならないということだって、お母さんが生まれるずっと前に、知らない誰かが決めたことだ。自分たちはこれまでずっと、自分ではない誰かが決めたことを、まるで自分たちが決めたことのように、何の抵抗もなくそのまま甘受してきたのだ。
(中略)
 あのステージに駆け出していった自分と、今こうして大好きな人と愛し合っている自分は、紛れもなく、どちらも同じ自分なのだ。アイドルである自分と、大地を好きな自分は、どちらも完全に自分自身なのだ。そんな、かけ離れているべき「自分」がきちんと一致してしまうことに、お母さんは耐えられなかったのかもしれない。だから、連絡先も何もかも変えて、これまでとは違う自分になろうとしたのかもしれない。
 だけど、そんなのは無理なんだ。愛子は、大地の背中を抱きしめる。そこには一本、まっすぐに通る背骨の存在に、愛しさが爆発する。
 どちらも、自分なんだ。それが、ほんとうのことなんだ。誰に教えられるでもない、自分で見つけたほんとうのこと。

この場面でぎゅうぎゅうに萎んでいた心臓が突然その圧力から解放されたように爆発した。私たちファンが、アイドルが恋をしたことを知るのは、いつも「事後報告」だ。そしてそれは本人たちの口から一番に語られる訳でもなく、大概がそれらを世に晒すことで金を稼いでいる者たちから間接的に知る事になる。本当はこの時間差が憎いのかもしれない。私たちはごく一方的に知らなかった相手の過去の時間をそこで突然全て精算する事になるから混乱するのかもしれない。アイドルの熱愛報道が出る度に、あれこれと騒ぎ始める。「10年付き合っていた」と知れば「私たちが応援していたこの10年間ずっと一人の異性を愛していたのか」と悲しみ、「付き合って3ヶ月」と知れば「そんな浅い関係性を認める訳にはいかない」と怒り出す。「恋愛をするアイドル」=「ファンに対して不誠実」という等式で語られているのを見る度に、それはあまりに一方的過ぎる世界の切り取り方ではないかと思っていた。

きっと別方向から見たら、「アイドルが恋を選んだ瞬間」に立ち会ってみたら、全く違う世界が広がっているのかもしれない。それが丁寧に描かれたのがこのシーンだった。ファンのことは考えなかったのか、未来のことを考える想像力は無かったのか、そんなに浅はかな考えでアイドルをしているとは思わなかった、等と「事後報告」で知ったファンは厳しいコメントを向けているかもしれないけれど、葛藤の末に「アイドルが恋を選んだ瞬間」の儚さを、私たちの方が無視し続けていたのかもしれない。今後誰かの熱愛報道や結婚報道が出たら、きっと私はこのシーンを思い出してしまうと思う。禁じられていると分かっていながらも、選択してはいけない方を選択してしまった、その瞬間のエネルギーを想像してしまうと思う。

結局、主人公はその幼なじみとのツーショットが週刊誌に掲載され、武道館のステージに立つことなくグループを脱退することになってしまうのだが、その少し手前に振付師の先生が武道館公演の決まったメンバーにかけた言葉が好きだった。

 「いつでもかわいく、きれいでいなきゃいけないのに、恋はしちゃダメ。歌とダンスが仕事なのに、あんまり上手すぎるとそれはそれでファンがつかなかったり……求められてることはいつだって両立しないのに、皆、そのどっちにも応えてあげてる。そしたら、この子たちは何でも応えてくれるんだーって思われて、もっともっといろんな要求が飛んでくるようになる」
 「売れてほしいからCDいっぱい買うけど、ブランド者は身に着けないでほしいとか、いっぱいいっぱい忙しくなってほしいけどブログは毎日更新してほしいとか……皆よく応えてあげてるよ、そんな勝手な要求。新人類だよ完っ全に。私はね、両立しない欲望を叶えてしまうっていう点で、女性アイドルは日常に現れた異物なんだと思ってる」
 「異物に対する反応って、人間の本質が出るの。パニック映画とかってそうでしょ?ロボットとか宇宙人が地球に来ちゃってどうするか、みたいな映画、よくあるじゃない。映画だと、異物に興味を示さずに生活を続ける人もいれば、抹殺計画みたいなこと立てる悪役みたいな人も出てくるよね。だけど、歩み寄って、共存しようみたいなこと言う人だっている。アイドルも、そういうものなんだと思う。そりゃ、アイドルを気持ち悪がる人だっているよ。CDが売れた分だけ握手するとか、そんな生き物これまでいなかったんだもん。アイドルグループの人気が出るかどうかなんて、そんな異物にどう向かい合うかっていう、こちら側の話だと思うわけ」

恐らく夏まゆみ先生を意識して書かれたのではないかと思う、この振付師の先生の言葉が好きだった。散々リアリティを追究してアイドルファンの心を搾り取っていく朝井リョウさんの、アイドルに対する尊敬の気持ちだとかアイドルを肯定したい気持ちを、この振付師の先生に代弁させたのではないかと思った。“異物”という言葉は、人間の上に立つことも下におさめることもさせないあくまで“物”であり、絶妙な言葉選びだと感じた。私が探していたアイドルを守る為の魔法の言葉は、こういうものかもしれないと思った。過剰にアイドルだけを守ろうとすると、それは悪役たちの燃えている火に油を注ぐことになってしまう。共存者は異物になれないし、異物も共存者にはなれない。適切な距離を保ちながら、混乱する世界の中で、出来るだけ長くアイドルの味方で居れたらと思った。

もう二度と読みたくない疲労感と、もう一度読みたい好奇心の共存。アイドルが好きで好きでたまらないからこそまた読みたくなくて、アイドルが好きで好きでたまらないからこそまた読みたい。