「かわいそうだね? / 綿矢りさ」

Twitterの「アカウントを削除」ボタンを押すのは今年2度目だった。きっかけはTwitterと連携して使用していた質問ツールに匿名で私への憎悪の気持ちが投げ込まれていたことだった。他人からの悪意を受け取ることは今回が初めてではない。最初にアカウントを閉じたのはフォロワーが1万人以上に達し、「私が見ている数」と「私が見られている数」に大きなギャップが生じ、自分の言葉が本意ではない方向に歪んでいくことが度々あったからだった。最初こそは伝え方の問題だと自分を見つめ返したけれども、どれだけ慎重に言葉を選んでももう斜めにしか捉えられない人に、正面から向き合う気は起きなかった。面倒なことは世界一嫌いだ。アカウントを削除することで私は面倒を回避した。

けれどもTwitterという病魔に侵された私はその面白さからは抜け出せずすぐにまたアカウントを作り直した。私がアカウントを作り直したことに漬け込んで、同時期に私を名乗る偽アカウントまで登場した。Twitterは私のメモ帳代わりだった。見たもの聞いたもの、またそれを受けて考えたことを140文字で記せる便利ツールだった。しかしそれはまた結局、意図せず誰かの心を抉る結果となり、それはナイフの様な言葉に変わって私に跳ね返ってきた。

1度目は心を削る様な思いで削除ボタンを押したが、今回はそうではなかった。私を疎ましく感じている人間を横目に、Twitterを続けたい欲望が果たして私の中に本当にあるだろうか、と考えてみたら意外と無かった。無いと分かったら早速アカウントを消してみた。消してみて分かる、改めてTwitterに書きたいことなんて、今特別無かったのだと。これまで日課のように覗いていた世界を遮断してみたら、突然目の前に別世界が広がったように見えた。

さて、何をしよう。これまでTwitterを覗いていた時間の分だけ、違うことが出来る。言葉を吐き出すという行為ばかりを続けていたら、急に言葉を吸収したくなってきた。最近読書の時間が十分に取れていない。仕事帰りに本屋に寄ったら、今の私の心を掻き毟る絶好のタイトルが見えた。「かわいそうだね?」、思わず「ありがとう」と返したくなる気持ちでそれを手に取り、レジに向かった。

かわいそうだね? (文春文庫)

かわいそうだね? (文春文庫)

自分も女でありながら、私は女性のヒステリーな部分があまり好きではない。知らず知らずの内に自分がそうなってしまっている危険性も含めて。だけどそれを小説の上で、文字を介して、味わうことは意外と嫌いではない。むしろ今回なんて帯の「滑稽でブラックで、でも愛おしい女同士の世界が描かれた」という文句を見て喜んで選んだくらいだ。しかも綿矢りさなら尚更美味しい匂いがする。

痛飲、痛姦、痛狂躍。痛いほどじゃなきゃ気分は晴れない、だってコーラでさえ炭酸が喉を刺激して痛いじゃない、喉の奥の嗚咽のかたまりを溶かすために、焼けつく嫉妬から逃れるために、幸運を祈るおまじないを。

有能で強い女を演じ続けた樹理恵が、身体の底から湧いてくる怒りを露わにし狂っていく様は、今の自分が実は心の底でそうしたいと願っていたことと重なり、読んでいて気持ちが良かった。小説上の私は彼氏の家で暴れ、物を崩壊し、憎しみの対象に正論をぶつけ、そして全てを失う。

この気持ちをうまく言い表している故郷の言葉があった。なんだっけ。残念だけど、うまくあきらめられる、いいあんばいに現実逃避できる言葉。あ、思い出した。

しゃーない。

すっと奥歯に詰まっていたものがとれる。そうだ、「しゃーない」だ。それだ。こうなってしまったのが何故なのかそんなことを順序立てて考えるのは今でなくていい。Twitterには復活させるための猶予期間が30日ある。さて、明日はどんな世界に没頭しようか。