戸塚祥太『ジョーダンバットが鳴っている』

私が初めて戸塚さんのことを認識したのは、随分昔のことになる。以前にも書いたことがある通り、私がジャニーズに目覚めたきっかけは「☆☆I★N★G★進行形」というグループだった。「☆☆I★N★G★進行形」は5人組グループで、そのバックで踊っていたのも同じく5人組グループだった。それが戸塚さんが当時所属していた「A.B.C」だ。メインの「☆☆I★N★G★進行形」よりも「A.B.C」の方がパフォーマンスレベルが高いと感じたことをよく覚えている。自分とそんなに年の変わらない中学生や高校生が、次々とアクロバットを決め、メイングループを後ろから食うような勢いで踊る。私があの時感じた興奮のほとんどは、「A.B.C」が表現していた躍動感から来ていたのだと思う。その中でも戸塚さんは特に可愛らしい顔をしていたので、「A.B.C」の中でも一番最初に名前を覚えた記憶がある。

そんな風に戸塚さんのことを以前から知っておきながら、本当の意味では戸塚さんのことを全然知らなかった。非常に整った顔立ちでありながら、噂に聞くのは奇行の数々。奇行と言えども、それらはすべて戸塚さんの中に強い信念があって起こした行動と読めるものが多く、この人が何を考えて生きているのか知らないままには笑えない、と思うことがあった。そんな時に、『ザ・少年倶楽部』で戸塚さんのソロ曲『Dolphin』をSexy Zone佐藤勝利さんと歌っているのを見た。作業をしながら流していたので、あまり真剣には聴いていなかったのだが、途中で大きく手を広げながら戸塚さんが台詞を口にする。少し早口で限られた時間に思いっきり言葉を詰め込むその台詞の間、私はただただポカンと口を開けてしまった。何か今凄まじいメッセージが投げかけられたのに、私はそれをキャッチするためのグローブを持っていない。戸塚さんのことを知らない振りは出来ないと思った。

戸塚さんが『ダ・ヴィンチ』で連載をしていたことは知っていた。V6の井ノ原さんの話が出てきた回は購入して読んだ記憶がある。けれどもそれが一冊の本にまとめられていたことを知ったのはつい最近だ。ちょうど良いタイミングで戸塚さんを知ることのできるアイテムを手に入れた高揚感で、ページを読み進めた。まず、毎回結構な文字数を毎月の作業としてこなしていたことに驚く。3,500~4,000字程度だろうか。これを月3回締切が設定され、1回目に書いたものを編集者に読んでもらって深く掘り下げるための質問をしてもらい、それを更に2回目、3回目とブラッシュアップして、その月の原稿が完成すると聞いて、普通に凄いと感じる。ブログで3,500~4,000字書いてしまうこともあるけれど、それはあくまで自分が書きたい内容で、書きたいと思ったタイミングで、また出来たものを誰にも修正を求められるでもなく書いているだけなので、この作業を連載期間中ずっと続けてきた戸塚さんの根性に敬意を表したい。

ジャニーズに入った経緯から始まり、お騒がせをしたMステについての釈明や、坊主になった時期のこと等、あの当時外野から見ていたら知ることの出来なかった戸塚さんの真意が丁寧に説明されていて、その行動自体は不器用であったとしても、この人の心の中にある少年心のようなものを、真っ向から否定したり揶揄したりすることは出来ないなと思わされる。人の前に出る時に、全てを言葉に出来る訳ではないので、誤解されることもきっと多いのだろうけど、風化させずにしっかりと当時のことを説明する戸塚さんはやはり誠実な人だと思った。戸塚さんに言葉という武器を持たせてくれた本に感謝したくなる。そして戸塚さんがハマり込むと周りが見えなくなるくらい没頭するタイプなのも良い。エッセイの中で、本に沢山導かれていることが伺えると、何だか私も嬉しかった。

私はA.B.C-Zのライブには1度しか行ったことが無いのだけれど、まるでおもちゃ箱のようだった。橋本さんがピーターパンで、4人のお兄さんたちをネバーランドに連れて来てくれて、そこで年を取らずにみんなで楽しく暮らしているようだった。バックとして沢山経験値を積んで来たからこそ、顧客目線が染み付いているのかもしれないが、今日Twitterで流れてきたツアーのペンライトも、女の子が小さい頃に遊んだおもちゃによく似ていて、誰だって童心をくすぐられてしまう。男の子の見せたいものと、女の子の見たいものは、残念ながらなかなか一致しないのだけど、A.B.C-Zのライブはその狭間で沢山の夢が詰め込まれていた記憶がある。今回のエッセイの中でも、ステージを作る過程の話もあったりして、A.B.C-Zのライブが見たくなってしまった。

このエッセイ本を全て読んだとしても、戸塚祥太さんの1%もまだ分かっていないのかもしれない。不思議な人、という印象は今も変わっていない。でも何も知らなかった時と比べると、「とっつー」という愛称の可愛らしさに実感が伴ってくる。