柚木麻子『デートクレンジング』

先日、幼なじみの30歳の誕生日を祝った。4月2日生まれの友人は、同級生の中で誰よりも早く年をとる。幼い頃はそれで得をしたこともあるかもしれないが、この年になると加齢が早いことのお得感はそこまでない。30歳になった彼女には、30という文字に型どられたナンバーケーキを用意して、30歳を噛み締めてもらうというサプライズをプレゼントした。そんな彼女が言う。「でも私たち30歳にしては見た目は若いと思うんだよね絶対」最後に付け足された“絶対”という言葉の力強さに私は思わず笑ってしまった。その場にいる全員が同い年であり、自分たち以外の客観的な目が含まれていないのに、“絶対”と信じたい彼女の気持ちはよく分かる。確かに、私たちは世の中の30歳の平均よりは若く見えるのかもしれない。けれども私は、そのことを考える時に、同じ30歳でも立っているステージや役割の違いでも見た目の印象は大きく変わるのではないかと信じている。

4人で彼女の誕生日を祝ったが、その4人の内結婚しているのは1人のみ、既婚の友人も子どもはまだいない。もし私が仮に何年か前に結婚していて既に子どもを産んでいたとしたら、私は今と同じような外見をしていただろうかと思う。きっと今程のコスメは買っていないだろうし、オシャレさよりも家事のしやすさを優先したファッションにシフトしていたかもしれないなと思う。今経験できていないライフイベントを経験して、顔のつくりや表情だって違っているかもしれない。もちろん、結婚や出産を経験しても若々しい外見を保ち続けている人も勿論いるけれども、私の場合は取捨選択するものが違っていただろうなと思う。そう考えると実年齢よりも若くいられていることを手放しに喜んでいてよいものだろうかと思うこともある。

付き合う友達は自然と、独身の友人に限られてくる。誰かの妻になったり、誰かの母になったり、新しい役割に就いた友人のことは、彼女のことを求めている家族との時間を奪うことになるような気がして、気軽に誘えなくなり、そうしてライフステージの違う友人との間に知らず知らずのうちに溝が出来ていく。実質的には本人の性格がさほど変わっていなかったとしても、結婚を超えた後の友人の性格が何だか変わってしまったように思えてしまうこともある。これはきっと自分が同じことを経験してみないことには、本質的には分からないことなのだろうと思いながら、長い目で受け入れる。そんなことを30歳を目前にして色々と考えていたところに、柚木麻子さんの小説『デートクレンジング』に出会った。

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私のために書かれた小説かと思った。という自意識過剰っぷりを発揮してしまう程、あらゆるページで胸が締め付けられた。アイドルファン、婚活、アラサー女子、結婚した友達、これらの単語に心当たりのある方は、誰でも物語へ引き込まれると思う。アイドルのコンサートに向かう飛行機の中で読み、嘗てない程物語に出てくる言葉をマーキングしてしまった。柚木麻子さんが元々ハロープロジェクトのファンであることは知っていたが、柚木さんがそのファン心を物語の中に散りばめてくれていて、光る言葉が沢山あった。

小説のタイトルである「デートクレンジング」という言葉は、登場人物の実花がマネージャーをしていた女子アイドルグループの名前である。「デートクレンズ」というアメリカの造語があり、「女の人はデートをしない時期を意識的に作ろう」という意味らしい。それをアイドルのグループ名にあてた理由として実花はこう語る。

男に評価されなければ女は無価値、とか別に好きじゃない相手とでも一人でいるよりはましっていう、日本にも横行する古いルールにNOを突きつける、元気がよくてプライドのある女の子パワーが溢れるグループにしたいと思ってる。競い合う女の子を見て喜ぶ層がいるみたいだけど、仲良く楽しくやらせたい。ファンの顔色を窺うような方針はあまりとりたくないと思ってるの。
アイドルに限らず女がお膳立てしてサービスするのが当たり前みたいなところあるじゃん。そうじゃなくてファンとアイドルが一緒に盛り上がって、連帯できるようになりたい。見る側、見られる側、楽しむ側、楽しませる側、そんな垣根を取っ払いたい。アイドルとファンが共にありたい、と思ってる。誰かに献身されなくてもしなくても、女も男も幸せになれるっていう風になれたらいいな。
(中略)
私としてはアイドルの恋愛御法度ルールには価値を置きたくないんだ。無理してデートをするのは莫迦げているけど、本気のデートは一生にそうそうないんだし。年頃の可愛い女の子に恋するな、なんて無理な話じゃない。彼氏がいようがいまいが、応援したくなるような魅力があれば問題ないと思う。それを伝えられるのは、私たち運営側、大人の力、だよね。

こんなコンセプトのアイドルがグループが実在するならば、是非応援させて欲しいと思ってしまう。特に恋愛御法度ルールのくだりは、どこかでそんなグループが存在して、売れ続けて欲しいと願いたい内容だ。

そんなアイドルグループのマネージャーをしていた実花は、グループの解散をきっかけに仕事から離れ、婚活を始める。これまで仕事に力を注いできた彼女は、この婚活で悪戦苦闘する。また佐知子という結婚した親友にそれらを打ち明けるのだが、佐知子と実花の間にあった確固たる友情も歪に崩れていく。婚活パーティーに出向いて男の人と出会っていく過程の中で実花は婚活にこんな意味を見出す。

デートクレンジングのファン層でごっそり抜け落ちているのが、彼女たちと同世代の男性ファンだったの。最後までメジャーになれなかった理由は、実はその一点だけなんだよ。
ファンにとって、春香たちは励ましてくれる同志であり、姉妹であり、友達でもある。でも、恋人ではないんだよ。同じクラスにいるマドンナや連れ歩いて自慢できる彼女ではないんだよ。それはあの子たちが可愛くないからじゃなくて、癒したり、拙く振舞ったり、献身してくれないから。日本ではどんなに演技が上手くて美しい女優でも、理想の恋人やお嫁さん像から外れたら、トップには立てない。わかるでしょ?
(中略)
大手事務所の中には、自分のとこの看板女優に、いつパパラッチされても清純派のイメージを崩させないように、わざと野暮ったい服を着せるところもあるくらいだよ。つまり、婚活でのルールとまったく同じ。アイドルの正攻法の売り出し方は婚活と同じなんだよ。三十五歳になって初めて、アイドルと同じことをやっているのが今の私なんだよ。デートクレンジングのあの子たちにだけやらせなかったことを、私がやっているの。

男性に媚びないアイドルを作り、世間に疑問を投げかけてきた彼女が、婚活市場に出た瞬間、自分がそれをやらなければいけないと悟ったこのシーンは、自分の心に迫るものがあった。女だけで遊ぶ時の私服は全身真っ黒なのに、男性は花柄のスカートが好きだからとコンパにはいつも花柄のスカートで来る友人。二人でご飯に行った時の会計が割り勘だったら、それはもう脈が無いのではという思想を持つ友人。男性は追いかけたい生き物だから、自分から誘いたいのに相手の出を待つ友人。婚活の場面で違和感を抱いていた部分がフラッシュバックし、その中で自分もすっかりそういう考え方になってしまった部分を振り返っていた。男性と対等に向き合おうとして失敗する実花の姿に胸が痛む。

その一方で実花のことを昔から尊敬し自分のアイドルのように考えていた親友の佐知子は、ありのままの実花でいて欲しいと願い続ける。婚活に身を投じるあまり本来の実花とかけ離れていく姿を見たくない佐知子と、既に結婚というライフイベントを終えている佐知子とこの苦しみを本質的には分かち合えない実花と、二人の友情はどんどん脆くなっていく。また実花は昔からアイドルが好きだが、佐知子の方は特に夢中になれるものが無い人生だった。普通に生きてきて普通に結婚した。実花のいる婚活パーティーに出向いて、佐知子がそのことを自覚するシーンも印象的だった。

認めたくないが、こだわりを持たず、他者を圧倒するような個性や熱量をまるで持たない自分は、確かにこの市場で楽々と泳いでいけるタイプの女だった。

特別に好きなものがある人よりも、広く浅くこだわりの無い人の方が、確かに婚活市場では需要が高いし、きっと男性を選ぶ時にも困る場面が少ない。そのことを婚活パーティーに行ったことのない佐知子が、婚活パーティーの会場で自覚するシーンもまた胸が締めつけられた。この場では、普通であることが武器になる。

そんな彼女たちがどのような着地点を見つけるのかは、是非物語を読んで確認して欲しいのだが、普通な佐知子が最後に実花へ向けた言葉が好きだった。

あのね、実花。私、ずっとオタクになりたいって思ってたの。オタクっていう言い方は、失礼にあたるのかな。ただね、自分の好きなものにまっすぐになれて、他の人からどう見えるとか、どう思われるとかおかまいなしの、好きなもの以外はどうでもよくて、なにがあっても平気な人になりたかったの。迷いのない人になりたかったの。

オタクであることに多少のコンプレックスがある私も、何のオタクでもない人からこんな言葉をもらうことがある。けれども私からしてみれば、何にもこだわりがない、基本的に何でも受け入れることができる、「好き」と「嫌い」の間にそこまで大きな線引きがない人のことを、羨ましく思うことも多々ある。自分のことはそんな風に感じることもあるけれど、何かに対して熱量高く語っている人を見るのは楽しく、愛おしいとも思う。オタクが武器になる場面も少なからずある。佐知子のこの言葉に、救われた思いだった。


このタイミングでこの小説に出会えた私はラッキーだったと思う。物語の中で、佐知子が実花との思い出を振り返るスクラップブックを作るシーンが出てくるのだが、その中にライブから持ち帰った銀テープをスクラップするシーンがあり、私も遠征から帰宅するなり、すぐに銀テープのスクラップブックを作った。この小説で考え方が180度変わるとか、そういった劇的変化を望む物語ではないにせよ、これまで自分が考えてきたことの筆圧を強くするような物語だったなと思う。デートクレンズという言葉も覚えた。いつか時代が移り変わって、デートクレンジングのようなアイドルが、トップに君臨するアイドル市場を見てみたいと思う。